wall-to-wall architecture/inner-urban sprawl etc

8月24〜25日、"Modernities and Cities of East Asia: the View of the History of Civilization" と題する国際シンポジウムがソウル市立大学(University of Seoul)にて開かれました。私は今日25日の午後、"Creating Natural Forest in Modern City:Transformation of Shinto Shrine Precinct in Japan and its Colonies"というタイトルで明治神宮史研究会の成果の一部を紹介しました。忙しいなか建築家のAhn ChamgMoさんが駆けつけてくださいましたし、国史編纂委員会の方は京城神社を、また国立海洋大学(釜山)の方は龍頭山神社をそれぞれ研究しているということでわざわざ会いに来てくださいました。ありがとうございます。
さて討論のなかで宋寅豪 Song InHo 先生はじめ4〜5人の方からコメントや質問をいただきましたが、旧知の禹東善 Woo DonSonさんからは『植民地神社と帝国日本』と比べると批判が鈍ったのではないかというような指摘を頂戴しました。いやそんなことはありませんよ。とはいえ、批判のスタンスが変わってきたことは事実なので、よい質問をしていただいたと思います。境内林の問題は、人が不断に介入・管理する自然から、自己再生産しつづける自然への、人為的な移行というとても捩じれた関係にあります。自己再生産(“成る”こと)の肯定(理念への転倒)は日本のナショナリズムの基本的特性だとかねてより言われているわけですが、それを生態学的な学知が支えてしまうという関係です。問題は、こういう話を植民地のコンテクストでしようとしても、うまく働かない面があるということです。誤解を招くことを承知であえて言えば、切断的なものが求められるコンテクストでは、込み入った繊細な話はたんにナイーブでしかないのですね。逆に、繊細な話が理解されて当然というようなコンテクストが確保されている場合、そのことの特異性も考える必要がある。
こういう問題をきちんと考えておくことは、むしろ都市組織の自己再生産とか、アノニマスな家屋の変容とかいった問題に対してナイーブにならないために有効だとも考えています。これらも生態学的な視点によって考えざるをえないのですが、それが決してナイーブな理解ではすまないということは、すでに1970年前後の『都市住宅』あたりではすでに明確に意識されていました(→たとえばこれ)。つまり、都市にせよ住まいにせよ、無意識をどう扱うかに戦略的にアプローチしない思考はきわめて射程が狭くならざるをえないのです。
さて、長くなってしまいましたが、今日はじめて知って印象に残った言葉をひとつ。ラインハルト・ツェルナー氏の東アジア都市論のフレームワークに関する報告のなかで出てきたんですが、「wall-to-wall architecture」という表現、これは面白い。wall-to-wall carpet というと部屋いっぱいに敷いたカーペットの意味ですから、wall-to-wall architecture というのは奇妙な射程をもった言葉のように思いました。皆さんも考えてみてください。ちなみにマックス・ウェーバーの都市論からの引用のようだったので要チェック。あと、中国語でいう「侵街」(町家の商業が公道を占拠していくこと)は英語では「inner-urban sprawl」と表現されていました。面白いです。