台湾調査報告その2

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8月17日 新竹市内より北埔へ。まちづくりのリーダー古武南氏に再会。さっそく老街内に住む89歳の蕭さんのお宅を紹介いただきインタビュー+実測。ホーロー語でいう総鋪は、南部の美濃では客家語で「大鋪院」と呼ばれていたが、ここでは同じ客家でも「大眠床」と異なる呼び方。夜、兄貴(陳正哲)が合流してホテルで討議。研究のフレームワークを鍛え直す。
8月18日 再び北埔にて蕭さん宅の補足調査+詳細インタビュー。その後、幸運にもここ北埔の大墾主(ディベロッパーにして支配者)である姜氏の館と邸宅を見学させていただく機会を得る。つづいて民家一棟実見(ラフプラン)+インタビュー。
8月19日 さらに北埔へ。古武南氏の案内で古い半楼形式の街屋を実測。大正年間(?)の市区改正時に土确(日干煉瓦)の壁だけを残し、必要に応じて赤煉瓦を積み、木部は全部組み直したのではないかと思わせる。一時的にせよ列壁都市の初期状態が一挙に現れたことがじゅうぶん想像できる。これはグレたちにも報告せねばならん。街屋は所有者が変転しているケースが多く、ここでも過去についてのインタビューは残念ながら断念。
8月20日 しつこく北埔へ。97歳の木工職人(大木から小木まで何でもこなした)にインタビューを試みる。かなりイメージの修正ができた。やはりこの手のものは社会階層との関係がかなり深いようだ。北埔を後にして関西へ。市街に残る植民地初期のものと思われる街屋群を見た後、近くの石崗子という集落へ。大眠床と八脚床(八卦床)の共存状態、そして大眠床の現代的変容が読み取れそうだ。機会を改めて再訪したい。これにて今回の調査は終了。
新竹へ戻り高速バスにて台北へ。ほぼ3週間振りに子供たちの顔を見て眠る。今日(21日)は論文書き(英作文は調査より疲れる)。明日(22日)に帰国して翌日(23日)より26日までソウルの予定です。