民衆駅を知っていますか。

雑誌『東京人』の巻頭エッセイとして「民衆駅を知っていますか。」という短文を寄稿させていただいた。
鉄道会館1954
僕自身は、先般の坂倉準三展で渋谷・新宿・難波を中心にいくつかの駅ターミナルの形成過程にふれた経験を通して、「民衆駅」の存在に注目することになった。昨年は人間環境大学の最後のゼミ生の一人S君が立派な卒論をまとめてくれたのだが、民衆駅は、いわば国鉄の駅施設を核とする立体的な都市空間の開発経営モデルといってよいものだと思う。もちろん関西の私鉄各社による先行モデルがあるし、部分的にはアメリカのユニオンステーションといった例も参考にされたようなのだが、やはり国鉄が都心のディベロッパーを自覚したという意味で民衆駅は大きい。上の画像は今はなき東京駅八重洲口の鉄道会館の竣工時(1954)の写真だが(その後本来の計画通り12階建てまで増築して完成)、このビルを開発経営した株式会社鉄道会館は、同時に全国の民衆駅建設を総合的にプロデュースする実に興味深い企業でもあった(むろん建築設計事務所も持っており、そこに前川國男と同期の太田和夫がいた)。日本の鉄道駅は、ヨーロッパのような都市間ネットのターミナルというよりも、都市に入り込み、また都市空間そのものを生成する中心になるわけで、駅は実は早期から特有のポテンシャルを持っていたはずだが、戦後、国鉄にスイッチが入ることでそれが爆発するのだと思う。「民衆駅」、このいくぶんいかがわしい魅力を持った言葉をめぐっては、解くべき問題がいろいろ隠れているので、引き続きその謎に迫っていきたいと思う。