モノ・身体・日本(?)

下記3冊を読んだ。

3冊とも真摯に身体とモノとの新しい関係のありように迫っていて、問題意識はかなり重なり合っている。しかしアプローチも、語り口もかなり異なる(たとえば中村拓志はきわめて直線的に論理を詰めていく感じだが、中山英之は詩的でアレゴリカル)。アウトプットも違う(たとえば中村・藤本では消えてゆく家具が、中山にあっては家具然とした姿で残るためにむしろシュールレアルであったりする)。最近、この家具の消去あるいは残存の仕方をめぐって、やはり「日本」という場の特異性を考えざるをえないと思っている。
それで、全く無関係とも言えぬ下記の大冊も読んだ。

渉猟された資料の膨大さは圧倒的。色んな読み方ができるが、例えばベッドがたんなるベッドになっていく歴史としてもよい。逆に言えばかつてのベッドが持っていた濃密さが描き出されている(描写がちょっとスノッブなのがたまにキズ)。ベッドが権力と儀礼のための場であったことはもちろん、もっと普通にベッドあるいは寝室がきわめて社会的な交通空間(つまり親戚や友人や、見ず知らずの人がけっこう出入りしてしまい、ということは当然ながら情事にも事欠かぬ場)であったことが豊富なエピソードによって活写される。日本に置き換えたらどうなるか。いちおうこういう著作群があるにはある。ちなみに僕たちは日本植民地下の台湾漢人の「寝床」の変容(とそのいくつかの脈絡)をがんがん復元中。おもしろいよ。