2010年3月16日・藤森照信先生退職記念講演会「日本近代建築研究の足取り」於:東京大学生産技術研究所

P31605931974年1月5日/明治神宮/東熊/台帳/桜井小太郎・曽根中條事務所/建築新潮/ドクロマーク/鋳物(鋳鉄橋)/ヤクザ五人/クローバー型/カブトガニは不味い/しらみつぶし調査/今は十分の一/三島通庸/コンドル(の娘)の生写真/深川ナポレオン/河鍋暁斎/維新前後二十年は日本近代建築史の神話時代/ウォートルスはヤマトタケル(我らがヒーロー)/ウォートルス=コンドル同一人物説。辰野金吾だけが知っていた秘密(ウソ)/アイルランド→香港→薩摩→明治政府→上海/電灯/コロラド/シルバーラッシュ/流れ者/のたれ死にしなかったのが残念な山師/鉱山技師の血筋/ウォートルス兄弟社/スタンディングストーンはアイルランド人の魂/分類だ、ダーウィンだ/古い学問=19世紀的・博物学的/繋がり(リネージ)こそヒトの認識の原型/お前はヘーゲルだ(by鈴木博之)/陣内秀信との違い/組織=構造よりも、ゴロゴロしたモノ/チューダーの上に下見板張り/モノはいかようにして“存在”するか/ハイデガー/両岸は架橋によって認識される/丹下健三/寝ているモノを起こす/イサム・ノグチ/カルナックの列石/石の中に入って死ぬ(墓)/ビジブルであれば何をやってもいい

以上、会場でiPhone(なんちゃって普通のケータイ)で打って自分宛メール送信した今日のノート。記録したいと思ったワードを羅列することにした。やっぱり思ったのは、きちんと手間と時間をかけて採集したブツと文献と証言の圧倒的な多量さというか、採集あるいは「誌」(グラフィア)の精神の系譜上に藤森先生はいるのだということであった。ぼくはやっぱり「ゴロゴロしたモノ」なんだなあ、と。おそらくそのことを確認するために、陣内先生との違いの鮮烈さに言及しておられたのだろう。陣内先生のティポロジアは、類型の「理」(ロジア)によって都市組織の歴史意匠的構造というべきものを一気に見通す、そういった精神なのである。人間は集合的知性(暗黙知)としてのロジアをつくりだす。一方、同じ都市を扱っても藤森先生の視線はまったく違う。名著『明治の東京計画』は、つまり人間が起こした石(作物=モノ)として銀座や兜町を描いていたのである。人間とは石を立て起こすためにすべてを賭す者どもなのであった。

ところで、我々が昨年11月に割ってしまった(突風のせいですが)高過庵の窓ガラスは(→こちら参照)、ちゃんと修理済みであることを藤森先生ご本人に確認できたのでとても安心した。