建築史交流会に参加させていただく。

本日(0313)第14回建築史交流会が法政大学市ケ谷キャンパスにて開かれ、高村雅彦先生にお誘いいただいて初めて参加しました。参加各研究室から推薦された20名が発表し(卒業論文修士論文)、投票により6名が表彰されました。参加者(教員・学生)は100名を超えたそうです。懇親会も含め、とても楽しい会でした。
発表された研究の主題はきわめて多岐にわたり、いやまさに身近な無名のものごとをほとんど何の気負いも衒いもなく素直に扱っているものが多い。一昔前だったら、建築から天下国家を論じるみたいな切り込み方はあったし、論者が対象に同一化してしまわんばかりの作家論の類も結構あった。そういうものがないかわりに、ドメスティックでアノニニマスなものごとへの素直な感心を肯定する雰囲気がすっかり普通になっているらしい。しかも研究の水準は決して低くない。寺院境内の変容と上知・宅地化・墓地開発等の諸要因の摘出、農村住宅改善運動と地域の伝統的民家との相互関係の解明、イタリア都市の街路・広場にみられる石畳パタンの繊細な読解、芝居町木挽町の都市開発にみる環境セットの復原、そして路傍の木製ゴミ箱の研究(!)・・・どれもよい研究ばかりだった。
昨日書いたばかりだが、まさにナイーブ・ヒストリーである。着眼センスの繊細さ、遂行の精度など、よい意味でとてもナイーブ。問題はそのナイーブさによって何がどう書き換えられるのか、どんな地平が開かれうるかですね。そこが戦略的でないとね。たとえばインターナショナル・オーディエンスに伝えられるかどうか(英語に翻訳しても意義あるか)と考えてみるのもひとつの手がかりかも。
来年はうちも発表者を出しますよ。