四谷と渋谷にて。濃すぎてヘロヘロ。

PC196729昨日は午前中に四谷にある新宿歴史博物館にて「林忠彦写真展:新宿・時代の貌〜カストリ時代・文士の時代〜」を最終日すべり込みで見る。林忠彦(1918-1990)はプロ写真家としてデビュー後、1942年から華北へ出て“広報写真”を撮り、『写真週報』(内閣情報部→情報局)にも提供していた(←この国策グラフ誌は戦中期のこと知るのに重要)。北京で終戦を迎え1946年に引き揚げ。変わり果てた東京を撮る。酒場、劇場、職安、アパート。踊り子、船上生活者、傷痍軍人・・。カストリ雑誌の隆盛は林の写真が火付け役のひとつだった。風景ではなく、無防備な人々のポートレートだ。晩年の林は、写真というものの持つ記録性は自分の意図を超えて恐るべきもので、我ながら驚いている、と言っている。
同時期、林は織田作之助太宰治といった文士たちの写真も撮っている。撮られる者の有名性と意図が強烈なのに、復興期東京の無名のポートレートともダブって見える。坂口安吾の仕事部屋、きたなすぎ。ホコリが1cm積もっていたと林の追想内田百けん(門+月)はやばいオッサン、見るからに。林が撮影のために自宅を訪れたら、玄関口に札が貼ってあったという。「世の中に人の来るこそうれしけれ、とはいうもののお前ではなし」。縮み上がるわ。でも気楽で愉快な人だったらしい。
その後1956年の「小説のふるさと」では生々しいオブジェクト的な人物表現が後退する。小説の舞台となった場所を撮り、写真に言語的なコンテクストを織り込むことが試みられたようだ。展覧会では、志賀直哉『暗夜行路』=尾道・松江、三島由紀夫潮騒』=神島、壷井栄二十四の瞳』=小豆島(作中では特定されず)がとりあげられている。小豆島の岬の村が圧倒的に美しい。ちなみに神島は三重県の志摩地方。神代雄一郎研究室のデザインサーヴェイに「菅島」があるが、菅島は鳥羽と渥美半島先端とのあいだのいわゆる伊良湖水道に浮かぶ海女たちの島で、そこからさらに渥美半島に寄ったところに神島がある。いずれも伊勢神宮に献上する「のし鮑」の神事に関わった島。来年の夏あたり、『潮騒』持参で行ってみようかな。

午後は渋谷の国学院大学へ。今年から、歴史学神道史・宗教社会史といった諸分野の人たちと一緒に明治神宮を捉え直す研究会をはじめた。昨日は2時から7時まで5時間にわたる発表+討議の連続で、これがまたあまりに濃密な議論なので興奮状態が続く。疲弊した脳にビールとワインを入れながら、さらに政教分離の話とか、今日の神社の硬直性とか、人工と自然、建築と森とか、はてなく議論が続く。周りから見たらかなりあぶないアラフォーの集団であった。日付変わって帰宅。前日あまり寝てないけど頭をクールダウンしないと寝られずもうヘロヘロ。(この研究会、間違いなく画期的な成果があがる)

(*写真は四谷三丁目あたり。新宿通りと靖国通りのあいだの崖にまたがる住宅たち)