パシコムおじさんとカンポンの世界

143_SeminarOnUrbanVillage*「私の家はネ・・・ホテル・インドネシアの隣なんですよ。RUMAH SAYA 'MAH ... DIBELAKANG HOTEL INDONESIA ...」


インドネシアで40年連載されたG.M.スダルタ作の人気漫画「パシコムおじさん」より(この漫画は1979年9月19日付)。
ホテル・インドネシアは日本の戦後賠償の一環としてジャカルタに建設されたもので、設計はA・ソーレンセン大成建設設計部、竣工は1962年。僕も1度だけ泊まったことがある。平和条約・賠償協定の話をつけたのはインドネシア初代大統領スカルノと当時の内閣総理大臣岸信介(1958年)。ホテル・インドネシアは、スカルノスハルト独裁政権ならびにそれと結びついた日本資本の進出を象徴するのかもしれない。
で、その「隣」というよりウラに、パシコムおじさんの家はある(漫画の左端)。バラック群のように描かれたその場所を、インドネシア語ではカンポンKampung という。

014kampung_arialカンポンはムラの意で、狭義には大都市に形成された“都市内集落”を指す。布野修司の名著『カンポンの世界』(PARCO出版、1991年)を読めば分かるように、大都市の街区をみると、大通り沿いの「皮」にはパーマネントな鉄筋コンクリート造のビルが立ち並んでいても、その内側のいわゆる「あんこ」にはせいぜい2階建て程度の戸建あるいは長屋建の住居が隙間なくひしめいて別世界をなしている。それがカンポンだ。布野の比喩では「半熟卵」。固い殻のなかに、アモルフな集落的組成。・・・どう? 東京みたいでしょ?
(注:布野のフィールドはジャカルタではなくスラバヤで、写真はスラバヤのカンポン・サワハン。カンポンにもそれぞれ名前がある。 → この場所の現状をGoogleMapで見る。すごい!!)
あらためて漫画をみると、パシコム氏が友人と向かうその先には「SEMINAR ON URBAN VILLAGE」の垂れ幕。お分かりと思うが、「都市のむら URBAN VILLAGE」はカンポンのことだ。ジャカルタでカンポン改善事業(KIP)が開始されたのは1969年。それが一定の成果をあげ、世界銀行の融資がはじまるのが1974年。セミナーの内容は分からないが、カンポンに関する何か啓蒙的なテーマなのであろう。しかしその建物は・・・。いやあ、すごいですね、パシコムおじさん。錯綜する歴史的コンテクストを凝縮するアレゴリカルな漫画の力。
同時代的にはこの漫画の意味するところは瞬時に理解されたであろう。私にはすべては分からないが、描かれたものの来歴を訪ねれば、この一枚が実に多くのことを語り出す。

この錯綜する世界を、漫画とは反対に、鋭いナイフで解剖してゆくのが『カンポンの世界』の分析精神だ。ちなみに上掲の1コマ漫画が発表された1979年という年は、布野がインドネシアを初めて訪れた年でもある。もっともカンポン調査をはじめるのはその3年後のことなのだが。いずれにせよちょうど30年になる。
ここ数日、ちょっと目的があって同書を再読している。3回目だが、今までとは比較にならないほど、この本の面白さがよく分かる(たぶん僕自身のフィールド経験を通じたフォーカスの移動によるのだと思う)。「パシコムおじさん」も同書にちらっと姿を現していて、思わずAmazonでポチっとしてしまった(後述)。
カンポンは、簡単にいえば農村出身の人々が都市に吸収された、その移住先に出来上がる都市的集住地で、出身地とのコネクションだけでなく、社会的・文化的システムをも継承する。カンポンの急速な増加と過密化を引き起こしたのは、端的にいえばオランダによる植民地支配だが、その引き金(インパクト)に対して、インドネシア農村の持つ強固な文化的回路が示した反応がカンポンの姿であったというべきだろう。その回路は、圧倒的な人口圧に対して、人が普通に享受すべきものをできるかぎり細分化することで享受者の数をできるかぎり増やすことで対応する。たとえば住居は面積を徹底的に切り詰め、生活を屋外化・共有化することで、人口密度を上げればよい。食いぶちも同じだ。非公式部門のサーヴィス・小売り業(路上の物売りやベチャの運転手など)が彼らの仕事だが、そのパイを可能なかぎり小さく分けて就業者を増やす。こうして都市の社会構造を大局的には保存したまま、内部に向かってのみある種の「発展」を可能にする、それをアーバン・インボリューション Urban Involution と呼ぶ。
このインボリューショナルな都市組織の“発生”メカニズムを、さらに、住居の型とその凝集に伴う変容過程にまで落として読み取る可能性をも、同書は示している。ここのところの時間的な「解像度」をもっと上げることができたら、というのはちょっと高望みにすぎるだろうか。
ところで、芸術などの文化現象全般を広く見渡せば、インボリューショナルな発展のパタンは、日本文化にもかなり広範に観察されるものだろう。鎖国下での爛熟的な江戸文化の発達とか、ゼネコンの施工精度とか。そういう文化的なインボリューションと、しかし経済的な資本集約型発展(カンポンの人々を中流サラリーマンにするか、落伍者にするか)とを共存させてきたのが近代日本なのかもしれない。

000_OomPasikom私が購入したのは、漫画家G.M.スダルタ Gerardus Mayela Sudarta の1コマおよび4コマ作品集(邦訳):G.M.スダルタ著・村井吉敬訳『パシコムおじさん:漫画でみる現代インドネシア』(新宿書房、1985年) 解説も秀逸です。

このスダルタ氏、現在は何と、京都精華大学 カートゥーン・コースの特任教授なのであった。→ http://www.kyoto-seika.ac.jp/cartoon/tokunin.html