澎湖群島調査報告 その1 今年は海の世界でした。

昨夜帰国。今回は、台風の影響で調査期間をかなり短縮せざるをえなくなり、調査途中で媽祖群島はあきらめることとし、かわりに澎湖群島の主要な島々をきっちりまわることにした。これは結果的にはよい判断だったと思う。採集データの密度もあがり、これまでに考えて来た「総鋪」の起源にかかる仮説的フレームをもう少し柔軟に組み直すべきであることも知った。
元来は土間床でベッドを置いて寝るはずの台湾漢人の住宅になぜか揚床状の寝床がつくられている。これを題材に、失われた住むワザ(lost living art)の歴史的再構築を目指す私たちの研究は、住総研の助成で仮説を構築したのち、4年間の科研費を得て今年がその1年目。この4年内に本にすることを目指す(つもり)。
今回は離島部の調査だったためほとんどネットがつながらなかったので、今日からおいおい調査の様子を報告します。

写真の下に調査日誌をたたみました。興味ある方は「続きを読む」で。

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8月10日 台風で日本に足止めをくらっていた学生たちが台北に合流。台北見物の暇もなくいきなり澎湖群島へ飛ぶ。馬公着。宿のフロントで船の情報を収集するがどんな便がいつ出るのかなど意外に不透明で大いに困惑。(今回の移動は全部船だったのでそのあたりの仕組みも徐々に分かるのだが、面白かったのは乗組員たちが船上で乗船客たちと次々に接触して民宿やレンタルスクータの手配をしてゆくこと(これは七美・望安方面の話)。船会社とは独立した乗組員たちのシマがある。)

8月11日 まだ台風と季節風による風雨の影響が残ることを恐れ、今日は本島から橋でつながる西嶼の二崁へ。陳氏の同族集落。以前にも一度来て古い総鋪の現存を確認していたので、学生たちの練習を兼ねてさっそく実測にとりかかる。しかし材の組み上がり方などは大学の座学では身に付いているはずもなく、基本設計みたいな図になってしまうのを彼らも苦闘してようやくそれらしい野帳に仕上げていた。さてこの一族のなかに面白いヤツがいて仲良くなった。片足から背中にかけて刺青が広がる。日本に行ったことあるかと聞いたら、新宿のおやぶんのところに少し世話になったことがあると言っていた。

8月12日 澎湖本島の馬公から船で南へ1時間強、群島の最南、七美島へ。波止場の民宿に荷物を置き黄色のタクシーを駆って島巡り。七美は海岸と草原、そして同族の散村。集落に出会うとふらりとハンドルを切る。最初に出会ったのは呂氏の集落。さっそく総鋪採集。つづいて陳氏の集落。約90年ほどの三合院が並列する。1929年生の御主人に建築や生業や生活について色々とうかがうが、奥様が妙に警戒してしまい食事だからと敬遠され実測も中途で退散。島の東北岸にある石滬(石を積み魚を採る仕掛け)を見る。双心(twin heart)で美しい。ここで知り合った朱さんの案内でやはり90〜100年ほどの三合院に一棟案内される。さらに民宿経営の朱氏(別人)に氏の三合院を見せていただき、しかも彼が「土水」(土・石・瓦・石灰系の仕事全般を担う職人)であると知って急遽インタビュー。夜は・・・昼に腰を傷めてしまったので何か薬をと飛び込んだ波止場の雑貨店で無理を言って私用のサロメチール(昔僕のおじいちゃんも使っていたキツイ消炎鎮痛剤)をゆずってもらう。これがなかったらまともに調査つづけられなかったと思います、謝謝。

8月13日 昨夜の雑貨店主からうかがった話を頼りに鄭氏の集落へ。120〜30年前、80年前、50年前といった何段階かの建築の集合。ここの御主人は日本から来たと挨拶するといきなりカラオケの準備をはじめて日本の演歌を歌い出す。これくらいはこっちも慣れっこ。学生たちに実測を指示して僕と妻はカラオケ対応(美川憲一柳ケ瀬ブルースとか色々歌う)。御主人は日本の演歌なら70曲以上歌えると言って上機嫌なのでこりゃ何時間かかるかと心配したが、間もなく集落内の家々を案内くださる。それにしてもこの御主人のお話は成果が盛沢山であった。それを裏付けるブツも倉庫から出て来たりして驚く。我々の仮説もリジッド過ぎることを知る。翌朝も少しだけ補足調査をさせていただく。

昨年の調査は台湾南部の中山間部に狙いを絞って学生たちと竹造家屋のデータを大量に採集した。台湾中南部が日干煉瓦とともに、いやそれ以上に竹の世界であったことに強烈な印象を受けた。しかし澎湖群島には竹も木も生えない。建築をつくるのはもっぱら海から切り出してくる珊瑚石と玄武岩。必要な木材は、福建か台湾から杉材等を海上輸送しなければならない。農業に基盤を置く台湾本島と違い、澎湖では漁村の貧しさと出稼ぎのサイクルが支配してきた。たとえ文化的規範への志向性が強い漢人といえども、こうした極端な生態的・地政的条件の差異は生活にも及ばずにはおかない。語彙、形態、技術が織りなすマトリクスをもう少し広い視野で見直す必要があることを痛感する。

(つづく)