住総研・対論 梶山秀一郎さんらと

20090423 Thu. 大学にて近代建築史の授業を終えたあと、住総研シンポジウム「継承の知恵−保存・再生・無意識−」に行ってきた。

第78回 住総研「すまいろん」夏号 シンポジウム
対論I部:大嶋信道(建築家)/中谷礼仁早稲田大学
対論II部:梶山秀一郎(建築家)/青井哲人明治大学
司会(I, II部とも):手嶋尚人(東京家政大学

会場は早稲田大学。で、「保存・再生・無意識」などという渋い主題に、聴衆の大部分が建築学科の1年生のみなさんという、なんともハードル高い設定なのだった(しかも大学の先生やプロの方もいる)。残念ながら、僕は第1部はディスカッションの最後の10分くらいしか聞けなかった(それでも、かなり幅広い内容・視点で自由な議論が展開されていたのだろうという雰囲気は感じられた。中谷さんがブログに何か書いたらリンクしようっと →こちら)。
一方の第2部はすごかった。何がすごかったかというと、あとで聞いたら“京町家アルカイダ”を自認されているという京町家作事組の梶山秀一郎さんがすごかった。あの「ユーコート」(1984)の設計者としても知られる梶山さんだが、10年前から取り組む京町家の保全再生については徹底的なファンダメンタリストなのだった。たとえば戦後、いや明治以降に構造的・機能的・都市的な理由で町家に加えられたあらゆる改変は、すでに完成されている伝統的京町家に対してはあってはならない改悪。だから再生時にできるかぎりオリジナルに戻す。一方の僕は台湾の都市や住まいを観察してきて、町家をもっとゆるく動的に捉えている。町家というのは最終的には都市建築だ。つまり高密に接し合って配列されうること、状況の変化に適応しつつ都市組織を織りなせる強靭さを備えていることが要件。しかも、そうしたダイナミックな自生的変容・更新のなかで、それでも(それだからこそ)半ば無意識的に保存され伝えられるものがあってとても重層的なのだ。
というわけで、開始直後に覚悟したとおり、対論としては対立・すれ違いのまま終了(時間もなくて心残り)。でも面白かったんじゃないかな。早稲田の1年生のみなさんはどうでした? 最後まできちんと聞いてくださった皆さん、ありがとうございました。

以下、言えなくて残念だったこと。
梶山さんも、当然ながら再生の仕事を受けたときには相当に変容した町家にその都度出会っている。その「改悪」部分を現場でひとつひとつ確かめ、取り去るのだから、実は京町家の近代史のドキュメントを膨大に蓄積しておられるのだとも言える。僕としてはこの部分をきちんと記録し公開して後の検証に開いておくことがすごく重要だと思った。
もうひとつ、たとえファンダメンタリストといえども実際には施主や住み手がいてその要求に合わせる部分もあるわけで、昨日はおっしゃらなかったのだが『季刊まちづくり』に2004年に書かれた記事では、設計者であるご自身と施主とのあいだで、町家とは何かをめぐる考え方の折り合いをつけてゆく必要があり、それは、かつての町衆と職方とのいわゆる「出入り関係」の基礎となる共有事項の再構築プロセスだと書いておられた。この表現はすごくいいと思って、実は大事にメモって会場に向かったのであったが・・・。