実戦的リアリズムという美学

新宿地下_現代の都市デザイン1969東急会館_現代の都市デザイン1969
都市デザイン研究体という伝説の運動体については皆さんご存知のはず。最近もこのブログでちょっと触れたけれど、『日本の都市空間』(彰国社、1968)の姉妹編ともいうべき『現代の都市デザイン』(彰国社、1969)から2つの図版を。左、どこか分かりますか。新宿です。それも地下の平面図。メチャメチャおもしろい。もともとの作図はたぶん東孝光ら(当時坂倉建築研究所)で、自分たちが設計した西口広場を中心に、地下空間が増殖しいかなる世界をかたちづくろうとしているかを見ようとしたものだ。『現代の都市デザイン』は、「結節点をつくる/fixing the hubs of activity」という項で、彼らのこの図をとりあげてこう書いている。

「新宿は様々な機能集団群を誘発する諸施設とその中にゆれうごく群衆との錯綜によって成り立っている町である。ターミナル駅ターミナルデパート、広場を内包する地下街、地下の長いコンコース、劇場・映画館・飲食店の乱立する遊興地帯、徒歩圏にあるオフィス街、緑の茂る公園など多くのものが群集に開放された施設として存在している。町にゆれ動く喧噪の中に、既存の秩序の中に生まれながら、それを崩し新しい空間を求めて展開しうる状況を見ることができる。」(p.178)

それから、上は渋谷。玉川線が突っ込む東急会館。磯崎新『空間へ』(鹿島出版会、1971)にこんな新聞記事が転載されている。

「たとえば、渋谷駅をみてもいい。国鉄、地下鉄、二本の私鉄、無数のバス路線、放射、環状の各道路がこの凹地めがけてやたらと突っ込み、各種のレベルで重なり合い、その隙間にショッピングセンター、デパート、バスターミナル、劇場、映画館などがはさみこまれている。この相互が微妙で複雑な経路で連絡されているのだ。この関係を一目で図示するなど不可能にちかい。それだけでなく、建物や諸施設は長い間まちまちに建設され異なったファサードを持ち、しかも、その表面や屋上には無数の広告塔が乱立している。
 無関係で異質な者が、それでも副都心と言う一点をめがけて、錯綜し合い、重層して、みわたすかぎり不連続な堆積となったわけだ。これだけダイナミックに空間が変動している地区は世界にも類がない。」(磯崎新「世界のまち − トウキョウ」読売新聞夕刊1964.10-12)

1960年代の磯崎らは、ヨーロッパはもちろんアメリカにもない奇妙な都市の様相が東京で出現しつつあったことを捉えている。そして、そうした「見えない都市」の生成に実際に建築家として関与(加担)していたのは、丹下でも、その門下生たちでもなく(彼らは空中とか海上とか、そして現実には「郊外」に都市デザインのはけ口を見いだした)、美術畑出身の坂倉準三であったこともまた考えるに足る事実だろう。僕は彼の事務所に不思議な実戦的リアリズムのようなものを感じていて、だからこそ都市研究のひとつの軸というか素材たりうると思っている。ただ、坂倉の実戦性は、抗いがたい所与の枠組みを自分たちのものとして抱え込みつつ強化してゆくような志向性でもあったと思う(同時代にこの点を指摘した文章があって今日驚いた)。これは実は美学的な機制でもあって、よく知られる坂倉のウルトラ・ナショナリズム的な志向性とも実は合致するのではないかと思う。そう考えると、1970年でぴしゃんと線を引くように、磯崎が都市から撤退する理由も実によく分かるのである。