建築雑誌 2009年2月号・特集「宗教建築は終わったのか」

建築雑誌_no1586_200902ご自身がキリスト者でもある香山壽夫先生の記事では、1960年代以降のカトリック改革(第2バチカン公会議での決定)で教会建築が大いに混乱していることが問題視されている。関谷直人氏が紹介しておられるアメリカの「メガチャーチ」も興味深い(時に1万人を超える人々を毎週収容する屋内競技場のような“割り切った”建築の増加)。モスクはもともと特段の建築形式上の縛りがないからむしろ西アジア(イラン等)やオスマン(トルコ)等の歴史様式と近代建築との折衷に揺れている様子。仏教だって相当の振幅がある。
 そうしたなかで一見ほとんどブレがないように見えるのが神社。もちろん実際には神社もその社会的・財政的基盤という点では大いに揺れているのだが、どうにも環境を変えられないところに特質がある。だって、隈研吾設計の神社とかありそうでないし(いやあるかも)、神社の設計コンペとか聞いたことないでしょう。もちろんビル神社とか色々あるが、ビルの横や上に普通の社殿が建っている。本殿・拝殿などは「デザイン」の問題になりえていない。
 でもこれは1930〜60年代に生み出された歴史的な制約であって、神社とモダニズムが結合してしまったことから来る問題と考えた方がよい。ほとんど研究がないから私見になってしまうけど、内務省モダニズムが境内・社殿の非常に「自然な(人為性を感じさせない)」スタンダードをつくり出した経緯があって、当然これは国家神道という体制の下で推し進められ、かつ戦後の民主主義体制に暗黙のうちに引き継がれたので、きわめて均質な国民的了解、疑いの契機を与えないような共有イメージをつくり出してしまったように思われる。
 香山先生は信仰には「かたち」が必要であることを繰り返し強調しておられ、(1)「かたち」は共有される時間(伝統)と共有する集団(共同体)によって支えられるのだが、また同時に(2)「かたち」は繰り返し参照され読み直されることによって生き続けると言っている。含蓄深い。これに照らして言えば、森と社殿から成る境内環境という神社の現在の「かたち」は、(2)を禁じて(1)を偽装するようなところがあるように僕は思う。これは桎梏以外の何ものでもない。だから20世紀をきちんと相対化し、同時に19世紀を再読する必要があると思っています。19世紀は社会体制の解体・再構築の時代で、神社も多様だしその観念も激烈。この世紀の最後に伊東忠太が位置することは、僕にはある種の必然に思えますがいかがでしょう。
 (寄稿した文章はコレ → 青井哲人「神社建築は変われるか」p.20-21  限られた紙幅に硬派な文章つめ込んだので他より紙面が黒いですが、是非お読み下さい。)