都市史特論11/破壊と再生〜都市生成のシャーレ

 今回は都市の破壊を題材とした。関東大震災(震災・火災)、第二次世界大戦(戦争)、そして高度成長や規制緩和だってある種の都市破壊であるから、日本の都市はほとんど20年に満たないピッチで破壊を繰り返し、そのつど再生してきたことになる。
 災害復興については越澤明『復興計画』(中公新書)がある。越澤先生の本はあくまで都市計画史的観点から書かれているのだが、実は、同時に都市史としても読める側面がある。それは復興計画が現実の都市をつくる力を現実に(正負両面含めて)持ってきたこと、それを知ることで東京をはじめとする都市の現在がかなり解読できることを示しているからだ。しかしながら、この本で都市の復興過程が分かるわけではない。僕が言いたいのは同書への批判ではなくて、復興計画と復興過程とが違うという単純な事実。そのことが一般にどれほど明確に意識されているかというと、実はあやしいのではないか。とりわけ建築分野に学ぶ者にとってこの差異は重要な意味を持ちうると僕は思う。僕たちは、実際、焼け野原にバラックが立ち始め、それがやがては恒常的な街へと収れんしていくプロセスを知らない。闇市が生み出され、そして取り払われたことは、都市にとってどのような意味を持つのか、ちゃんと考えたことがない。それでよいのだろうか。復興じゃなくて再生かな、いや「再生」もいまやプランナー的観点に侵されすぎた言葉なので、「生成」という言葉で復興を考えてみたらどうなるか。これはかなり重要な研究になると思う。シャーレのなかの培養実験というと語弊があるかもしれないが、逆にそういう抽象度を高めた、ある意味では醒めた視点を持つことによって得られるものも大きい気がする。
 ところで今回の授業を準備していてふと気づいたのだが、阪神淡路大震災ではバラックを見ることはなかった。なぜか。授業中にもその問いを発してみて、そして授業を進めるうちに自分で答えが分かって思わず膝を打ってしまった。何のことはない、レジャー用テントが公園に無数に出現したではないか。バラックは先回りして商品化されていたのだ。考えてみると、被災者はテント、仮設住宅、復興住宅を順次移り住み、そして自力での居住環境回復が可能となった段階でこのルートから脱出する。こうした「移住システム」が見事に機能したということなのだろう。これは相当に驚嘆すべき事実ではないか。関東大震災第二次世界大戦の復興とは質にな大きな変容が生じたと考えざるをえない。もはや叉首組の廃材住居とかバス住居とかには出る幕はないのだろうか。
 しかし同時に、この種の驚きは僕の過剰なロマンティシズムに根ざすものかもしれない(生成、無名性、自然発生といったものへの素朴な思い入れを相対化できていないかもしれないという意味)。たとえばいかにも自然発生的な混沌状態と見える闇市が、実際にはきわめて組織的に生み出されて運営されていたという事実もある。生成を見届けるのには、やはり醒めた眼が必要とされるに違いない。