西洋建築史12/バロックという志向性

 ルネサンスの建築家アルベルティは、草むらを歩く人の顔は緑がかって見えるが、それは絵画では再現してはならないと言った。レオナルド・ダ・ビンチは事物の陰影は状況によって様々な色を呈するが、“真実の陰影”とは物体の固有色に黒を混ぜたものであると言った。つまり、彼らは人間の知覚する事物(現象 phenomenon)と、真実の事物(実体 entity)とを厳格に区別し、しかも芸術が向かうべきは後者であると考えていた。バロックは逆に明暗・色彩の分布、奥行き、動きといった現象の把握に向かう。窓からの強い夕日が壁・椅子・人にあたっていればこれらはほとんど同じオレンジ色に溶け合い、逆に闇もそれが椅子の背か人の背かは区別されることなく黒く塗り込められる。16世紀と17世紀では、絵画はまるで違ってしまうのである。
 建築のルネサンスバロックの対比は、意外とむずかしい、というか楕円とかボキャブラリのレベルでとりあえず頭に突っ込んでおくということになりがち(僕の学生時代を思い出してみても当時はまともに理解していたとは思えない)。でも、上のような規準を持っておくと知らない建築をみてもかなり区別ができる。ルネサンスの建築は、複数の純粋幾何学立体が整数比的な秩序の下に完結的な集合をなす。ひとつひとつの立体の面はあくまで平滑な平面であり、隅々まで白く、明るく、だからその輪郭を縁取る線(直線や円弧)がくっきりと際立つ。それこそが(観察者としての人間の存在など前提にせずとも実在すると確信される)神の被造物としての“真実の建築”に他ならなかったからである。逆に、感覚器としての身体が体験する現象としての“空間”を追求したのがバロックであって、バロック建築では立体は歪められ、隣り合う立体と接着してしまい、平面には凹凸がつけられ、輪郭は立体の融合によってなくなるか、もしくは装飾で掻き消される。闇に溶けた非分節的空間へと劇的な光が入り込んで知覚の焦点をつくる。さらに言えば、バロックの絵画や彫刻もそこに統合されて、一体的で陰影と流動感に満ちた空間をつくり出す。
 このようなバロック的志向性の後ろ盾となったのは反宗教改革絶対王政である。プロテスタントの躍進に対するカトリックの巻き返しは強烈で、その中心にあったのが総本山バチカンであり、また「教皇の先鋭部隊」たるイエズス会であった。あのザビエルさんはイエズス会の創立メンバーの一人で、日本に来たのも反宗教改革の一環。