都市史09/江戸から東京へ〜明治の東京計画

1204 いよいよ近代。
まずは松山恵さんの研究(たとえばコレ)にもとづき如何にして江戸が首都となったかを概観。考えてみると、実は三都が首都機能を分掌していたのだということも、また大名たちが地方を経営していた時代の徳川の政府機構がいかにコンパクトであったかということも、近代中央集権国家を想定したとき驚きをもって発見されたのではないだろうか。実際、新しい首都には新たに膨大な機構を集約せねばならなかったのであって、それを引き受けられるのは膨大な武家地ストックを擁する江戸=東京だけだった。しかし、江戸城西の丸に「宮中三殿」が設けられるというのはコンバージョンの決定的な徴ですね。で、それは明治元年ではなく、翌年の天皇再幸のとき。東京の首都化はこのとき決着する。ちなみに近代の首都に奉祭すべき神殿の構想は凄まじいものがいろいろあって面白い(→興味ある方はこちらに掲載の拙論を笑覧ください)。松山さんはこの首都化のインパクトを核に明治初期の都市の動きを説明しなおそうとする一連の研究を進めておられ興味深い。
そして明治の東京といえば、いわずと知れた藤森照信先生の『明治の東京計画』(岩波書店、初版は1982)。今回はかなり頑張ってA3×1枚の図解年譜を作成(1冊まるごと入ってます)。銀座煉瓦街から市区改正による丸の内ビジネス街まで、渋沢栄一やら井上馨やらが背負うものを背負って動き回り、ウォートルスやコンドル先生たちが設計の腕を振るい、そして誰もがわずかな都市の形を残して静かに去ってゆく。藤森先生があの頃に書いた歴史の文章はどれも三国志か何かのような活劇であり、しかも読後には何とも言い表しがたいもの哀しさが残るのである。何というか、都市はいつでもそこに横たわっている、という感じなのだ。