やっぱり近代住宅史のアーカイブですね、大阪は。


1125 Tue. 10年越しの借金(宿題)を返すために大阪へ。いくつか見なければならない建物をレンタカーで巡る。坂倉建築研究所設計の箕面観光ホテル、旧枚岡市庁舎(現東大阪市旭町庁舎・旭町図書館ほか)、府立阪南高校など、それと渡辺豊和のオッパイハウス。オッパイも原状をよく保ってちゃんと生きていた。昨日のなかで出色は旧枚岡市庁舎(1964年)。担当した西澤文隆+東孝光の力か。印象的なエントランス・キャノピーが半分、後補のエレベータコアに食われてしまっているのは残念だったが、モデュロールを使ったスチール・サッシュ、そこに薄いコンクリートのルーバーが被さるたたずまいなど見事だった。そして下面を湾曲させた逆梁の屋根庇。竣工当時の周囲には2層をこえる建物はなく、大阪市中心部との間もまだ農地がたくさん残っていた。そういう住宅地のなかに大きな土盛りのマウンドをつくって主階としたのだから、たぶん丘に聳え立つ神殿のようではなかったかと想像する。また大屋根の天上面が四周へ5mも張り出していて、遠望景観に対応する伸びやかな視野をつくっていただろう。当時の記事を読むと、大阪方面は煤煙でかすまない日はなかったという。だからこそ生駒山周辺は住宅地開発のターゲットになったのだろうし、実際、庁舎の足下から丘陵地に向かって住宅の海が拡がりつつあった。しかし、今では周囲に4〜5階建てのビルも立ち、生駒山から大阪湾へと至るマクロな地理的空間への対応という、当時の設計者の念頭にあったはずのフレームは効力を失っている。

とはいえ、生駒山麓から平野部にかけてのエリアでは、車をちょっと走らせるたびに様々な住宅開発パタンが積層している感じが分かる。あっあれは!とすぐに面白いものを見つけてしまうので運転も危ない。あちこちのコンビニやらスーパーやらに失礼して車を突っ込ませてもらっては写真を撮り、走ってはまた止まる。枚岡を出て平野を抜けようとすると今度は戸境壁が卯建みたいに突出していたり軒裏を銅板で覆ってたりする町家の近代的類型が次々に目に入る。そして最後は住吉区ですからね、かつて農地を食って増殖した文化住宅群がまだかなり現存しているわけです。というわけで目の保養に忙しい一日でした。

この長屋はちょうど「汲み取り」の車が来ていて、かぐわしい匂いが周囲に立ちこめていた(東大阪市)。あの匂いを知っている人は今どれくらいいるのだろう。僕の場合は、小学校3年までは家のソレはおばあちゃんが汲み取って畑に撒いていたが、あれではその匂いは出ない。たぶん汲み取り式でも排気孔をつけた改良便所のタイプが汲み取り時にあの匂いを発する。僕の記憶は、なかなか素敵な木造校舎であった小学校の便所のソレである。

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