韮山の江川家住宅
白井晟一が「縄文的なるもの」の文脈で言及した(新建築195608)あの江川家住宅を、先日所用の折に見た(1116 Sun)。やはり方七間の漆黒の土間は大きく深かった。苦塩の疎密が長年人に踏まれて生み出す三和土の凹凸を、中川武先生は光の具合によってビロードのようにも見えると書いておられるが(『日本の家〜空間・記憶・言葉』2002)、もっと荒々しく大きくうねってもいた。その巨大な土間の真上にたいへんな高さで整然たる小屋が組まれていて、きわめて実直な三次元の架構は東大寺南大門を思い起こさせるものがある。大河直躬先生(『日本の民家』1962)も「日本民家のうちでも例のない雄大な小屋組であろう」と言っている。屋根はいま銅板で覆われてすっきりしているが、大河先生や白井晟一が見た頃は草葺きで、巨大な草の山みたいなものがノッソと動き出しかねないと思わせるような迫力だったらしい。
左の写真、何の変哲もなさそうだがやはり柱があまりに太くて厳つい。これも室町期のものらしく(未確認)、釿(ちょうな)の跡だけでなく、度重なる修理と転用の履歴が残る。
そうそう、白井晟一といえばあの人の講演を含む勉強会がありますよ。「定員10名程度」って何と贅沢な。こちらを参照。→「ブログ・虚白庵にて 白井晟一学習会」