帰国しました。

昨夜、台湾より帰国しました。学生たちは一足先に帰国しています。
学生たちとの集中的な調査は約10日間でしたが、共同研究者の陳正哲先生が「濃かったね。1ヶ月分くらいの仕事をした感じがする。」と言ってくれたので研究代表者としてはまずはホッとしたというのが正直なところです。といっても僕は何もしていなくて、ほとんどは多くの友人の皆さんの情報と協力のおかげで動けたわけですし、そして台湾の街や村の皆さんが、実測を快く許してくださったり、話に付き合って下さったりするだけでなく、車に乗せてくださったり昼食を出してくださったりと、いつもながら信じがたいホスピタリティを発揮してくださるのにただただ「トーシャ」(ありがとう)とか「パイセェ」(ごめんなさいね)とか言って甘えていただけなのですが。それでもまあ、(当然ながら)日々書き換えられる問題に対して仮説を組み立て、研究のフレームを描き直しつつ、現場のコンテクストと照らし合わせながら今なすべき行動を判断しなくてはなりません。その都度、課題を共有している正哲先生と、状況のやり繰りにかけては超人的なウチの奥さんと相談しては、十数名のメンバーの動き方を決めていきます。連日の緊張感のせいか、臨地調査が終わった瞬間に、ドッと疲れが出ました。いやしかし、これまでのなかでも充実した調査であったことは間違いありません。
台北に帰った後は、書店巡りとライブラリーワークの後、竹管厝(竹造家屋)の数少ない先行研究者である鄭さんを訪ねました。現在はディスプレイ・デザイナーの仕事をしている彼を事務所に訪ねると、待っていたよとばかりに惜しげもなく資料や写真を提供くださいました。率直に敬服。こういうことってなかなかできるものではありません(あいだをつないでくれたYさん、いつもありがとう)。
つづいて植物としての竹そのものに詳しい李先生(中原大学)にお会いして、これまた貴重なお話を色々うかがいました。これは林會承先生のお招きによる食事会の席だったのですが、藤森研のBさんたちもこれにあわせて再会しました(Bさん、地形図ありがとう、助かりました)。この日は、その前に順益台湾原住民博物館にて、植民地期の美名でいうところの高砂族(高地や離島の原住民)の家屋や技術についても少し勉強。やはり平埔族(平地原住民、大局的にはほぼ漢化されてしまった)の建築史が大問題なので、次回はその分野の専門家にも会う必要があると思っています。
さて、もうすでに次回調査での動き方のイメージもできています。それだけ今回の調査は「解くべき問題」を明確かつ豊かにしてくれたという感じがしています。