近代建築史10/摩天楼と草原の家

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分厚い過去が堆積するヨーロッパとは異なり、新世界アメリカは独自の近代建築の方向性を提示する。巨大都市の摩天楼群と、草原・砂漠あるいは郊外の住宅群。この二つはもちろん対をなす。
前者はD. Burnham や L. Sullivan らのシカゴ派が先鞭をつける。スチールフレーム(まだリベット打)、テラコッタ製外装、中空煉瓦軽量床板などの採用が、この種の建築に要求される条件(軽量化と工期短縮)を物語る。また従来の建築は4〜5層程度を超えることがなかったが、Otis社などのエレベータがこの限界を取り払うことで、アメリカ都市特有のグリッド状ブロックの枠内で建築の高層化競争がはじまる。マンハッタンではこれがさらにエスカレート。1916年のゾーニングにより建築の可能的な形態が決定される。コールハースもとりあげているマンハッタン建築家たちの自虐的な仮装舞踏会は摩天楼の「設計」の特質を物語る(学生たち大ウケ)。そしてこれら摩天楼のベイ・システム(柱間単位のファサードデザイン)を否定するのがMies van der Rohe のガラスの摩天楼計画。純度の高いユニヴァーサルスペースは通常の機能主義とは異なる、近代建築のもうひとつのモデルだ。
後者(来週へ)も大きな拡がりがあるが、授業ではFrank Lloyd Wright の Prairie Style(草原様式)を紹介、その水平的な空間の相互貫入もまた近代建築のひとつの空間モデルで、デ・スティルやミースらをはじめとする継承的開発者を生んだ。