市場はなぜ面白いか。

]
0516.sat 研究室の学生たちと築地市場を歩く。2年ほど前に一度、人間環境大学のゼミ旅行で来たことがあるが、そのときはもう、「ターレ」にはまってしまって(こちらをご覧ください)、その平行世界にただ圧倒されいたのだが、今回はかなりじっくり観察した。
事前にT・ベスター『築地』(帯にあの人類学者C・ギアツの賛辞がついている)をかなり読み進めていたので市場のシステムはおよそ理解していたが、やはり人類学者の眼では描写されない空間的・モノ的世界の配列構造をきちんと描く仕事は残っていると確信。

ところで市場の面白さはどこにあるのか。
ひとつの施設でありながらライン状・ツリー状の一元的システムをとらず、家族企業的な小規模事業者が一定の慣習的ルールにのっとって動く、その振る舞いの集積が(錯綜するセミ・ラティスを描きながらも)個別的にも全体的も破綻なく機能して目的を果たしてしまう点にある、と思う。
築地の店舗棟の場合、1930年竣工のバウハウス流機能美を誇る工場のような建築物が1ロットわずか2×2間ほどの場を提供し、それを約850の仲卸業者がおのおの縦横にカスタマイズして(しかし一定のパタンができている)全体の環境をつくっているのも、またセリ場から店舗へ、店舗から配送所へと魚を動かすのが各業者の自前のネコ(木製台車)か、わずか数十万円で買える超小型トラック(ターレ)だったりするのも(それらの移動が実際に複雑なセミラティスを描く)、あるいは市場全体にむき出しのライフラインが飛び交い、そこから各店舗が電気や電話・ファックス回線を引き込んでいるのも、さらには各店舗がいちいち外部から調達するのでは非効率な氷や塩などを売る店がいわば街角の雑貨店のように適切に分布しているのも、電動ターレの充電スポットがあちこちの壁や柱に用意されているのも、すべて市場的機構の理屈に合っているのだ。
photo album

Mさんの修論、面白くなりそう。