建築雑誌2013年6月号・特集「拡張する大学院:全入時代の学部と縮小する市場の間で/Expanding Graduate School: Between Today’s Easy-Access Undergraduate Schools and Shrinking Job Markets」

cover_2013066月号は建築教育特集です。編集担当は、生田京子(名城大学)・樫本信隆(日建設計)・砂本文彦(広島国際大学)・田村和夫(千葉工業大学)・渡邉浩文(東北工業大学)の5名の皆さん。なかなか面白い、生き生きした特集になりましたので皆さん是非ご覧ください。
 知らなかったんですが、「ゆとり教育」って「pressure-free education」ていうんですね、まあ「so-called」が付かないと「?」となる感じかもしれませんが。「ゆとり」が、(学力低下はダメだとして、それ以外では)よかったのか悪かったのかはまだ評価できないのでしょうが、それでもうちの子の先生など見てると少なくとも教師に「ゆとり」はなさそうです。
 その「ゆとり教育」世代を迎え入れている大学の学部教育も、文科省やら国交省やらJABEEやら様々な外的「pressure」によって教育内容を平準化せざるをえなくなっているようです。だいたい、戦後体制あるいは1970年代以降の社会・経済体制のなかで整備されてきた建築教育の枠組みが、まさにその社会・経済体制が解体していくなかで、社会から遊離しつつ硬直化してきたわけですが、それを論じたり変えたりするだけの「ゆとり」は必ずしも大学にはありません。大学こそいまや官僚機構みたいなもの、という声も日常的に聞かれます。かといって教員一人一人にだってそれほどダイナミックな再構築への構想力も実行力もあるわけではない・・・という状況のなかで、これまでの象牙の塔にはなかった多様な価値軸や実践性は大学院が担うしかなくなっている。たぶん、大学院は2年間だから学生の回転も早く、カリキュラムのスクラップ&ビルドもしやすいし、研究室等の単位で専門化を前提とした枠組みになっているから、それほど足並みを揃える必要もなく、意欲ある教員が動かせば色々できる、ということなのでしょう。そういうわけで、「拡張」しつつある大学院のダイナミズムを捉えてみようというのが今号の特集です。
 もっとも、いま大学院で展開されている多様な教育研究が、それほど目新しいものでもないかもしれません。むしろ前例はいくらもあるでしょう。でも、それを学生たちが大学の外にカウンター的な価値として探索しつつ世界を押し広げていく、そういう時代ではなく、むしろ大学が当然取り組むべき正しい課題として内部に必死に取り込もうとしている姿が、今日的な状況をよく物語るのかもしれません。今回はそういうなかで理念をもって意欲的な活動を展開している方々で6つの対談を組みました。
 他方で、こうして大学院の研究教育が社会・経済との直接的関係を求める方向に雪崩を打ったように向かいすぎるのも問題で、大学は基本的に社会に役立ちつつ、同時に、役に立たないことをやっていなければ存在理由がないのでしょうね。あるいは、その関係を問い続けるのが大学でしょう。近視眼的な社会順応型の取組みが間違っていると言うつもりはむろんありませんが、しかし社会を遠くから見るような視座と、それを裏付けるような長期の見通しと理念がないと、そのうち学生に愛想をつかされ、大学はへたばっちゃうんじゃ? そのあたり、外部(就職市場サイド)から大学院(大学)への忌憚ないご意見を募りました。読み応えあります。