建築雑誌2012年4月号・特集 残されしもの、生かされしもの Legacies Reincarnate

cover_201204残されしものの声を聞く特集です。編集担当は梅津章子さん(文化庁)と大沼正寛さん(東北工業大)。

津波が一切合切すべてを流し去ってしまった、と考える人は今はもういないでしょう。
一方で、復興計画がその絵のとおりに実現に向けて運ぶと考えている人も少ないでしょう。
この二つのことはとても重要です。

これからの数ヶ月は、残されし有形・無形のものたちと復興計画とを、ただたどしくともひとつひとつ繋ぎ合わせる作業になるでしょう。そこには文化財も、伝承も、過去の津波災害や復興の経験も、土地所有も、人々の生業や生活も含まれる。複雑な地層のごとき地域の文脈に対する、継承/断絶の様相は、マクロな復興の青写真もさることながら、それを具体の事業へと落とすデザインにおいてこそ、断片的であっても生々しいかたちで露わになるかもしれませんし、鋭く痕跡を残し続けるかもしれません。

「残されしもの」の声を丁寧に聞くこと。しかし私たちの耳には決してすべてが聞こえるわけではなく、聞こえたとしてもそれを生かす術は甚だ心許ない、そうしたことに対して謙虚であること。それが彼らを「生かされしもの」として回復するための大前提なのだろう、といったことが特集を通じて個人的に気づかされたことです。それは彼らを他者として尊重することですし、逆に人間が生かされる前提でもあるように思います。

執筆者や座談会・インタビューに登場いただいた皆さんには、編集部の問いかけに、広く、深く、具体的に応答してくださったことに心より感謝します。

それにしても、残されしものに向ける耳の感度をこれほど多くの人が研ぎすました災害は過去にはなかったでしょう。それほど津波災害のインパクトは色々な意味で大きい。しかし、そもそも、かつて人間はこれほどすべてを意識化せずともブレのないデザインをやってのけていた、人間は形の生成において「代理人」にすぎなかったのだとC・アレグザンダーは『形の合成に関するノート』で言っていますね。近代は、このような人間の位置をすっかり変えてしまいました。あらゆる諸条件を意識化することが当然になった。それに対して、ここ10年くらいのあいだに、きわめて繊細に諸条件を意識化したうえで、何らかの無意識の領域を残しゆだねる、そういう感覚が専門家だけでなく多くの人に急速に共有されてきているのかもしれません。
中谷×頴原対談で指摘されているように、保存(これもまたデザインです)という意識は何らかの「不適合」の自覚において獲得されるものですが、アレグザンダーもまた「不適合」をデザインの基本的動機として位置づけていました。統合的全体が一挙に獲得されることはない。それが描かれたとしたら、現実のコンテクストではきっと暴力や露悪に近いものでしょう。「不適合」を尊重しつつ埋める努力が痕跡として残るような復興の事例がたくさん産まれることを期待します。その意味で、同対談で紹介されたベリーチェ地震シチリア、1968)後のシザ+コローヴァのサレミ計画はとても示唆的です(阿部将顕さんご協力感謝します)。また、櫻井一弥・中津秀之・三浦卓也の三氏による座談会はとても印象深い事実と視点に満ちています。他にも読み応えある記事が満載ですので是非お読みください。

先日もこのブログで紹介した、日本建築学会 都市計画委員会傘下の地域文脈形成・計画史小委員会による提言集も非常に関連が深いので、あわせてご参照いただけると幸いです。