建築雑誌2012年3月号・特集 東日本大震災一周年 リジリエント・ソサエティ Resilient Society: Commemorating the 3.11 East Japan Earthquake Disaster

cover_201203建築雑誌3月号が届きました。土壇場でいろいろ苦労した特集でしたが、災後1年間の地域の現場をレポートしながら、3.11以後急速に誰もが使うようになった「リジリエンス」(復元=回復力)という概念を吟味し、さらに米国(9.11もカトリーナもなかなか復興しない)や中国(四川地震は4年目にはもうすべて完成していた)などのさまざまな復興タイムラインを辿りつつこの概念を社会政治的アスペクトへと接続しています。表紙と資料編もあわせてお読みください。

リジリエンスは、ダメージに対する「へこたれなさ」「復元=回復力」といったものを指す概念で、プロセスの進行とともにあるシステムが動的に示す複雑な能力をみる考え方です。近年、精神医学・心理学、コンピュータサイエンス、災害社会学などで急速に研究が進められていますが、たぶん思想的淵源としては半世紀前のサイバネティクスあたりに遡るんじゃないでしょうか。フィードバック機構をそなえた自動制御システムを生物から人工物まで色々なところに見い出していく知的運動としてのサイバネティクス。もちろん生態学的な考え方もここに連なっています。
まだ1年にも至らないこの時期にリジリエンスなんてちょっとタイミング的に無理があるんじゃ?という御批判もいただきましたが、むしろ今後も決断の連鎖が個々の地域に強いられるなかで、その社会が色々な矛盾に根ざしつつどう動いていこうとしているのかに目を向けよ、その社会が持ち合わせている能力を掘り起こしながら舵を取れ、といったメッセージになりうると思います。そういう特集になっていればと願います。

ところで、村や町内会はもちろん完結した系であるはずもなく、社会は階層的に積み上った宇宙をつくるので(近隣、地域、そして国家、国際社会)、実際の話はきわめて複雑です。災害ではしかもこの階層関係がダイナミックに変質するわけで、国家とか軍隊とかがいきなり近隣に登場したりするのですが、そういう国家権力の動き方もリジリエンスの構成要素になるでしょう。今回の巻頭座談会でも「国家」が問題にされています。
さらに難しいのは資本の動きですね。いま社会は階層的に積み上っていると書いたのですが、日本は公共性や共同性の水準が弱くてそれを資本の競合が肩代わりしているようなところがあり、日本の諸制度は、その競合がマクロな経済成長と社会資本整備につながるように誘導し、かつ水面下の矛盾を先送りにする、そういう「整流器」として鍛えられてきたのではないかと思います。災害復興も、これまではそうした仕組みがそれなりにうまく働いてきたのかもしれません。

近現代史を振り返るかぎり、日本的リジリエンスはバラックと経済成長とに象徴されるような気がします。それでは今どうかといえば、自力バラックはほとんど封じられ、経済は力を失っていますね。ある社会のリジリエンスを見ることは、とりもなおさずその社会を常時駆動させているシステムを見ることだと思います。