雑誌『すまいろん』(住総研)秋号届く/夏号特集「動くすまい」の感想・元倉眞琴氏・安藤正雄氏

今号もまず表紙見返しの「日本の集落の30年」がすごい。今回は兵庫県豊岡市城崎町「楽々浦(ささうら)」の舟屋とその今日の姿。30年前と今日の二枚の写真のあいだをつなぐプロセス、つまり「時のかたち」を想像する力というのかな、そういうものこそ建築とか環境とかを扱う者の基礎的な能力たるべきだと僕は思う。そのへんがトンチンカンな人は環境の形成に(専門家としては)かかわらないでほしい、などとも思ったりする。この(僕の)感覚は、70年代まで命脈を保った戦後的批評精神みたいなものとは(通じる部分はむろんあるが)やはり本質的に違うのだろうと思う。それを繊細に腑分けしつつきっぱり言えるようになりたい、ということをこの15年くらい考え続けている気もする。
私が企画編集をさせていただいた2010年夏号特集「動く住まい:流動的都市の原風景と未来」も、そういう個人的問題意識と結びついているが、それはともかく、この特集について元倉眞琴(東京芸術大学)・安藤正雄千葉大学)の両先生にお願いして書いていただいた。いや、たいへん真摯な感想と批評をお二人に展開していただけたこと、素直に感激しております。心より御礼申し上げます。
元倉先生は終戦3年後、2才のとき父君の仕事のため東京の下町に越してきてそこで育ったという。震災後のバラックや戦後復興期のものが入り交じる木造建物の集合体を「まるで生き物のように感じる」という元倉先生は、コンペイトウ(松山巌・井出建・元倉眞琴)時代にアメ横のサーヴェイをしておられる(1969年)。実は今年の前期に学生たちとそれを吟味した。60年代の前期デザインサーヴェイとは違って猥雑な都市空間の様相のようなものをつかまえようとしたサーヴェイだが、下町にせよアメ横にせよ、なぜあのようなものが成立し、維持され、どのような仕組みで生きているのかを僕は問いたいし、今度の「動くすまい」もそういう意図だっただけに、下記のようなご感想をいただけたことは大変うれしいです。

シンポジウムとその後の特集によって、私の木造住宅に関する感覚は確実に変わった。アーキグラムのウォーキングシティやメタボリズムグループのプロジェクトではなく、こんなに身近な所で簡単に建築が動いていたとは知らなかった。いや断片的には知っていたのかもしれないが、こんなにシステムとして都市と関わっていたことを知らなかった。「動くすまい」の特集はそのことを初めて示して見せた画期的な試みだ。/ ここから私たちの新たな都市のイメージとヴィジョンを構築できるのではないか。そんな予感を含んでいる。(元倉眞琴「「動く住まい」の予感」)

僕の問題意識はそれです、つまり未だにうまく捉まえられていない都市の性質 nature をきちんと論理的かつイメージャブルに描くこと。コンペイトウの元倉先生ですら、目の前にはやわらかい都市があるのに、西洋のかたい都市ばかり学んできたという矛盾の実感があるという、その状態を変えることが、素朴にいえば私たちに巡ってきた課題だと思っています。変な話、三段論法みたいな単純な順序構造を考えてもそうに違いないと思う。
一方の安藤先生はハウジングの立場からいわゆるオープンビルディング論に沿って特集の議論を実に手際よく整理してくださった。オープンビルディングは、ティシュー/サポート/インフィル(ティシューは組織、つまり都市組織のこと)という階層性の認識と、上位レベルは下位レベルの所有・利用者によって改変されないという原則、とを基礎とする(これがオランダと日本でハウジング分野で生まれるのだが、そのインスピレーションの一つはイタリアのチェントロストリコ保存思想にあるという安藤先生の指摘は深く納得)。「動くすまい」×「やわらかい都市」というキーワードで考えてみた日本の都市では、(以下ていねいに読んでください→)宅地の集積としてのティシューがサポートを飲み込み、建物がまるごとインフィルとしてふるまう。区画整理ではその両方を動かして新たな組み合せにおさめる。

青井氏はかつて日本時代の台湾都市改造を取り上げ、区画整理に較べて「遅れた」技術である市区改正が半熟卵状の「やわらかい都市」をもたらしたと分析してみせた。しかし、一方の区画整理においてすら、震災後建てられたバラックが動くことにより「やわらかい都市」が一時的にせよ形成されたという事実に青井氏が啓発されたことは想像に難くない。(安藤正雄「ハウジングの立場から」)

お察しのとおりです、先生。しかし安藤先生のポイントはその次。日本都市では「サポート」という中間項が消えた状態であり、しかもそれに対応する社会単位(公と私のあいだの共同=コミュニティのレベル)が欠落している。

一方、青井氏は土地・建物の不可分性=附合原理をもってヨーロッパの都市を「かたい」とみなしているかに思える。しかし、現在にいたるローマ法の規範も実は多様なレベルのさまざまな(都市)コミュニティ=「共」の慣習法を包摂し、あるいはそれらと並存しながら成立してきたのではないか。たしかに日本の家は動くようだが、それは自動するのではなく、動かす主体、動くことを許容する主体があるはずだ。次は「かたい」ヨーロッパ都市の「やわらかさ」を考えたいとする青井氏たちの今後に期待したい。(同上)

持続可能なすまい・まちのあり方を「所有と利用のあわい目」に模索してきた先生としては、本特集の「うごく」があまりにドライに流動性を観察してしまっていること、つまり「動く宅地集積」と「動く家々」の組み合せに対してどう中間的なものを立てていくかという問いが欠けていること、主体(人や社会)が抜け落ちていることを批判されたのだと受け止める。僕としてはいきなりコミュニティと言わず、「私ー私の関係」、「公ー私の関係」をまずは動態的に捉え、そこに生じる調整や判断や学習といったものの蓄積場所としての「都市」を考えたいと思っている。たぶん先生の言われるコミュニティも、都市計画的常套としてのコミュニティとは違うのではないかと思うが、きっと直接お会いすればより忌憚のないご批判を頂戴することは必至なので、そのときに議論させていただきたい。