感銘を受けた一冊。戦略的概念としてのバラックをめぐって。

teitofukko田中傑『帝都復興と生活空間〜関東大震災後の市街地形成の論理〜』(東京大学出版会、2006)
焦土と化した東京にいかにして生活空間が立ち現れ、市街地として整序されてゆくのか。この疑問に、入手可能なあらゆる史資料を駆使し、都市工学的・社会工学的基礎の上に方法化された精緻で力強い手続きに沿って実証的に答えた力作。著者の博士論文の書籍化。
どうやら、バラックは戦略的概念であるらしい。(著者の主張とはズレているかもしれないが)
今和次郎らが観察したように、災後の都市に発生したバラックは2坪程度ものだったが、更新されて6坪、そして数十坪と“発育”(今和次郎)してゆく。その速度に驚きつつも、政府がそれなりの制御をやってのけたのが帝都復興の感嘆すべきところ。そもそも法的な意味でのバラックは「物法」(市街地建築物法)のとくに集団規定の適用を免除されるかわりに、期限が来れば除却しなければならない建築のこと。政府としては、臨時的な違法状態を認めることで現地での自力復興を誘導し、区画整理の換地設計ができあがると、すでにそれなりに成熟した二十万を超えるバラックをわーっと曵屋で移転して区画整理を遂行してしまい、その後再び本建築(恒久的建築)へと自力で建て替えさせることで適法状態へとランディングさせるというシナリオを描いたらしいのだが、これがほぼうまく働いたのである。
「ほぼ」と留保が必要なのは、区画整理後、実際には半数以上のバラックが建て替えられることなくずるずる残ってしまったからである。もし建て替えれば、物法の規定を遵守しなければならず、たとえば斜線制限等のために建物ヴォリュームが現有バラックよりも小さくなってしまうケースも多かった。市民はよく分かっていたのだ。面白いのは、バラックというものの性質を、政府だけでなく、むしろ市民こそが、その法的ステータスにおいて考えていたということである。文化的常識としてのバラック概念ではなく、法的なバラック概念こそが双方にとって戦略的に重要だったということだ。色々と得るところの多い本だが、僕にとっての収穫はバラックの見方が大きく変わったこと。
以上は私の関心に引き寄せた乱暴な整理なので誤解なきよう。関心をお持ちの方は是非この大部の書籍と格闘してみてください。