都市生成・持続の実験場〜築地市場について〜

日刊建設通信20090528こういう記事を書きました。
青井哲人「都市生成・持続の実験場「築地市場」」(日刊建設通信新聞2009年5月28日付)

昨年度、研究室の宮戸明香という院生がまとめた修士論文は、魅力的なドキュメントに満ちた、しかし非常にきっちりと築地仲卸売場の原理を読み解いた好論文だった。とくに重要なのは変容・維持・再生という時間的な原理を組み込んだ場として築地を描いていること。ちょうど伊勢神宮式年遷宮という時間=空間論なしには成立しないのと同じように(20年に一回厳密に再生する、かつ、そのために二つの合同なサイトを並列する)、築地には築地のシステムがある。
いずれにせよ、疑似都市ともいうべき築地場内はわれわれにいま求められている“時間論の豊富化”に寄与するものだと思う。是非いずれどこかできちんと公開したいと強く思っているので興味をお持ちの編集者の方など是非ご連絡ください。もちろん、背景には移転問題もあって、建物はDOCOMOMO JAPAN 100選のひとつでもあるのだが、正直言って保存論は似合わない気がしています。
(OKが出たら全文公開します。→「続きを読む」にて記事転載します。お認めいただき感謝します。)

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日刊建設通信新聞2009年5月28日付]
都市生成・持続の実験場「築地市場

 築地市場に足を踏み入れると、ターレと呼ばれる無数のトラックが行き交う風景に眼を奪われる。動力部・駆動輪・操舵装置を直径80cmを切る円筒に統合したその乗物は、仲卸売場だけで800台ほどもあって、ほとんど隙間のない混沌たる市場の内部を縦横無尽に疾走する。条件が違えば、こういう世界も立ち上がるのか。そう実感する経験はなかなか得難い。
 築地市場水産物部は、生産者・輸入業者から持ち込まれる種類別の大口の品物を、卸売業者、仲卸業者が値段をつけながら段階的に小口に分け、消費者と直結する小売業者の手に渡す、巨大で錯綜した媒介機構である。その中核にある仲卸売場は、しかし家業的に経営される数百の小規模な業者の、一見バラバラな活動の集積というかたちをとる。だから、1935年竣工の仲卸売場の大屋根の下は、コンクリートの床を道路や宅地として地割りし、店舗を配列し、品物を移動させて価値をつくり出す、いわば凝縮された擬似都市である。そこからどんな世界が生成し持続するか、築地はその実験場なのだと考えると、欲望と知恵が織りなす実に豊かな構造が見えてくる。
 昨年、私の研究室の大学院生がこの築地市場を研究テーマとした(宮戸明香「築地市場仲卸店舗群の構成と変容」明治大学修士論文)。異国の都市を調査するのと同じように、この疑似都市をサーヴェイして読み解いた。興味深いドキュメントに満ちた研究だが、なかでも印象的だったのは「店舗移動」という慣習を論じた箇所である。
 仲卸売場では都が所有する約1800のロット(宅地に相当)に約800の仲卸店舗が展開する。各店1〜数ロット、大きなものでは10以上を占め、大小混在する。これが数年に一度、少々込み入った方法の抽選により組み替えられる。三日間のうちに無数の大工が入り、コンクリートや鉄骨の構造物に一斉に木造店舗の造作を施す。都市が再生されるのだ。なぜこんなことをするのか。
 実は、いかにも均質に見える大屋根の下にも、面する通路の大小、角地か否か、あるいは扱う魚種や業態による立地特性への多様な好みがあり、想像以上に多くのパラメータが不均質な場所性をつくり出している。その配分を長期的な視野で適正化すること、これが店舗移動のひとつの意義だが、もうひとつは都市そのものの生命にかかわる。たとえば仲卸業者が廃業すると空きロットが生じる。その使用権(鑑札)は東京都が回収するか、さもなくば他の業者が買い取るが、店舗の拡大を望む業者があっても、飛び地ではうまくない。店舗移動は、こうした不活性のロットが増えてしまう前に再び全体の配分競争のなかに投げ込み、生かす。市場全体の硬直化・衰退の危険を回避しているのだ。
 築地市場はもう長いこと移転問題に揺れている。しかし、この生きたシステムに、通常の近代建築保存論をあてはめるのも、エギゾチシズムやノスタルジーを振り回すのも、あまり似つかわしいとは思われない。むしろ、仮に移転が実現した場合、あの動的な平衡を維持する全体としての仕組みと事物のかたちの機微が、新しい施設にうまく継承されるのかどうかが重大な問題かもしれない。むろん、この驚異的な場について包括的に記録する作業は何としても望まれる。
 私たちはいま都市や建築の変化・持続・再生、つまり物的環境の時間論について豊富なモデルを必要としている。災害復興、団地再生、都市縮退、あるいは古建築の解体移築、曵屋から伊勢の式年造替まで、議論の射程はきわめて広い。築地を記録するタイミングを失してはならない。(あおい・あきひと)