建物が単なる〈充填物〉であるとは! --- Colin Rowe, "Collage City" 1978

建物が単なる〈充填物〉であるとは! これは嘆かわしいほど受け身で、あまりに経験主義的な考えのように受け止めることもできる ---- しかし必ずしもそうである必要はない。(C・ロウ+F・コッター『コラージュ・シティ』1978/鹿島出版会、1992 p.128)

久しぶりに一冊通して読んでみたら、何と、僕が台湾の街についていつも言っていることがずばり書いてあるではないか! うかつであった。しかも、気がついたらいま校正中の坂倉準三論も似たようなこと考えてた。たとえば大阪南海電鉄の難波ターミナルはプラットフォームが高架になっているのだが、坂倉は戦後その高架下を高島屋の売場に改装する仕事を依頼されている(1950年竣工)。彼が設計したのは文字通り充填物だ。雑誌や高島屋社史等をみると、しかしこれがすばらしい出来映えなのである。新宿西口広場もまさに充填。他にもいろいろあるが、都市における建築行為とはいかなるものかということを考えさせられた。しかるに、建物を「フリー・スタンディング・オブジェクト」(p.97)とみなしているとしか考えられない再開発ががんがん行われているではないか、東京でも地方でも。何なんだ? 何とか歴史的に考えられないものかと頭をひねってみる。