西洋建築史07/一神教の空間 〜教会堂とモスク〜

 第2回中沢新一にならって掲げておいたヒトの3つの革命を思い出そう。第3の革命はモーセの革命(3千年前)だった。これは建築に決定的な目標を与えたはず。モーセの前に現れた神は、アニミズム的な精霊でもなく、多神教的な神でもなく、表象を禁じる絶対的な超越性そのものだったのだから。この神の教えがユダヤ教となり、また同じ神のお告げをより正しく伝えると主張して登場したのが2千年前のキリストであり、さらに同様のことを重ねて主張したのが1300年ほど前のムハンマドである。では、この唯一絶対の超越性であるところの神に人々が集団で礼拝する空間とはどのようなものであるべきか? この問いに、教会堂(キリスト教)とモスク(イスラム教)は明瞭に異なる仕方で答えてきた(単純化して対比を強調してみる)。
教会堂は、伸び上がる塔を林立させ、内壁面を神秘的な発光面とし、また聖書にちなむ象徴で埋め尽くすことで、建築それ自体を天上世界と化そうとする。加えて人々の意識を祭壇へと集中させる奥行き深い軸的な構成、天上へと人々を誘う際限ない高さへの希求に沿って進化した。人々はこうした空間に包まれ、自らを浄めることで神の領域に近づけると信じる。
一方、モスクの空間は平面が方形もしくは幅の広いホールである。その空間や架構は地域によって実に多様だが、古典期では天井の低い薄暗い多柱室だった(ペルセポリスの百柱間を想起せよ)。ホールの奥の壁に聖地メッカの方向を指示するミフラブという窪みを穿つことは不可欠だが、それ以外に建築形態を規定する要因はなく、モスクそのものを理想郷の表現とする志向性は基本的にはない。人々が床面にひれ伏し、神への絶対的服従を確認する、そのための場であればよい。
世界中のモスクがすべてメッカの1点を向くのは、個々のモスクがそれ自体としては完結しないこと、むしろ地球全体に広がる大きなイスラム共同体が前提にあることを物語る。実際には様々な荘厳が施されるが、神の世界はモスクにあるのではなく、人が近づきえないどこかにあるとしか言えない。一方の教会堂はどれもが理想郷のある東を向き、光と彫刻の荘厳によってそれ自体が個々に完結的な理想郷を表現することによって、どこかにある神の世界から離れているがゆえに近づこうとする人々の希求を駆り立てる。
というわけで、いずれも相当に突き詰められた回答だとは思えるが、学生諸君はどちらがより一神教の空間にふさわしいと思う?