[classJAp]先週末(土曜日)の夜遅くに古建築実習から帰還。翌日は赤坂の坂倉事務所にて1日中缶詰。その翌日は大学の学科主催シンポジウムなどとバタバタしながら、今年も何とか科研申請書を書き終え、原稿もひとつやっつけた。陳正哲さんとの共同執筆で、今夏の調査の成果もかなり盛り込んだ。

ひとつ前の記事に書いた、「慈光院の和尚が出てきて、「おまえら『草庭』は書棚にあるか」とどやされた」という一件は、こういう話。東京空襲もはじまった第二次世界大戦末期に堀口捨巳は奈良盆地を見下ろせる慈光院にこもって一心不乱に茶室の研究をしていた。『利休の茶室』(1949)とか『草庭』(1948)などがそこで生まれた。戦争に対して建築家も様々な生き方をしたが、堀口はいわば戦争などどこにも無いかのような時間を過ごしたらしい。
和尚に問われて、「ああクサニワですね」と言ったら、「ソウテイちゅうんじゃ」とまたどやされた。「まあ書棚にあるんやったら許したる」とか。でも「クサニワ」でした、調べたら。
ちなみに慈光院の二畳台目の茶室は片桐石州の代表作(重文)。