なぜ残らないか、同潤会。高見澤先生講演会。

6月3日:明治大学建築学科特別講義:高見澤邦郎「同潤会アパートメントも80年、遥かな世界となった・・・が」。設計の講評会を終えて会場へ急ぐ。

・・・もう残るは上野下アパートメントのみ。どのアパートがどのようなコンセプトで生み出され、どんな経歴をへて、どのように消えていったのか、また何を残せたのか。ゆっくり噛み締めるような高見澤先生のお話が印象的だった。しかし、非常に深刻なのに曖昧にしたまま助長させるしかなく先送りされているシステムへの批判が込められていたと思う。

たとえば代官山の場合の再開発事業では、収入の70%以上が保留床処分金になるほどに床を積み上げてようやく、支出(半分が建設費、1/3が補償費)と釣り合った。「保留床」は従前権利者分を超える床のことで、ディベロッパーが買い取って分譲することになる。床をうんと増やさないと事業が成立しないのだ。しかしこれまでの居住者は(実質的には)再開発の負担をせずに以前よりかなり広い部屋を新しい建物の中で手に入れることができる。

設備が古い、部屋が狭い、といった要因が、それだけで単独で取り壊し・建て替えの理由になるわけではないことに注意しなければならない。つまり、建て替えた方が有利になる仕組みがあるからこそ、古い・狭いという(負の)価値が相対的に生じるのであってその逆ではない。また、そもそも団地全体が単独オーナーならば、再開発事業の仕組みにのせることはないから、賃貸の場合はまったく違う議論になる(同潤会アパートは元来は賃貸だったが、戦後に管理主体となった東京都などが居住者に分譲してきた経緯がある)。

かつて代官山では2〜3代にわたって住み続ける居住者も(少ないが)いたという。その過程でかなり大胆な増築も行われていた。とくに2層4戸1タイプ(西山夘三が戦前住んでいたのはコレ!)では前・後・側面・(2Fでは)屋上が増築可能。コンクリート躯体に木・鉄・ガラス・トタン板の小屋がアドホックに突出する写真には目を見張った。けれど、これも(かつて)いずれ来る再開発事業まで手放さない方が有利という判断ゆえに持ち続けていたのであって(不在家主として所有しつづけるケースすらあったという)、そのかぎりで増築という現実的戦略が意味を持っていた。僕みたいに学生に毛が生えたような若造は「増築」なんて言葉の魅惑的な響きについつい囚われがちだけれど、再開発事業が現実化すれば、増築は、つまりは建物も、あっさりと棄てられてしまう。増築はある枠組みが先鋭化させる戦略だということ。

そんなことを考えつつ、片方では、ああ低層マンションを選んでおいてよかったと胸を撫で下ろしてたりして。