西洋建築史01/イントロダクション

後期の授業がはじまっちゃいました。
0924 今日は「様式」、「建築史/住居史/都市史」、「ハイ/ロー・アーキテクチャ」、「西洋/東洋」といった言葉についてあまり意味のない固定観念に縛られるのはやめようという話と、「先史/古代/中世/近代」という大きな時代区分の意味合いについて少し話した。

「西洋建築史」は「様式」の歴史だ。と言ったとたんに違和感がないわけではない。ただそれは「様式」という言葉が19世紀以降えらく薄っぺらくなってしまったことを未だに相対化できていない証拠なのだろうし、部分的には元来が様式史的理解に馴染みのない日本人の歴史的背景とも関係があるように思う(日本の美術や建築には、クラシック/ゴシックに比せるような対立はない)。
だから、我々は「様式」という理解の仕方に備わっていてよい厚みを意識的に取り戻さなければならない。そうでなければ、「様式化」といった言葉も基本的に意味をなさないだろう。形態がその生成諸条件とのあいだのズレを縮めようと様々な可能性を生み出しながら淘汰してゆき、そうかと思えばまた再びエントロピーを増大させてしまう、そうしたダイナミズムを包容できる「様式」概念が必要になる。「様式」は普通そう思われているように芸術現象をパタン的に固定化して適用するような把握方式としても働く一方で、むしろ芸術現象の把握に時間的ダイナミズムを導入するものでもあると考えるべきだろう。後者を活性化するためには、たとえば生産・構法、都市といったものへの想像力こそが求められるだろう。

村松貞次郎の生産史を継承するのが藤森照信であることに不思議はないのかもしれない。

フランプトンがテクトニクスで19〜20世紀建築史を整理しなおした理由も分かる気がする。