近代建築史08/近代建築の定式化(モダン・ムーブメント3)

0529
後ろを顧みない前衛運動から、広く社会一般に定着しうる近代建築の定式化へ向かう1920〜30年代を扱う。ところが授業時間の読みが大誤算、しかも情報過多でシナリオが曖昧だった。失敗だあ、今日は。

ともあれ、次のような話。
(1) ドイツ・オーストリアでは、イギリスのArts and Craftsの移植が一連の「工作連盟」を生み出し、やがてBauhausにつながるのだが、この過程で、工業化を前提としたデザインという課題へとシフトしてゆく。工作連盟については、Weissenhofのジードルンク展、Peter BehrensのAEG専属総合デザイナーとしての雇用などの話題あり。面白いのはBauhausに至るも意外に中世主義の余韻は消えないこと(教官をマイスターと呼ぶ制度、中世以来の現場小屋を想起させるBauhausという名称そのものなど)。規格化に対する手仕事・素材感のアンビバレンツも残る。
(2) フランスでは、Tony Garnier の都市構想や、Auguste Perretの鉄筋コンクリートの軸組フレームの追求があり、そこへドイツ・オーストリア系の思想を組み込んだLe Corbusierが次第に際立ってゆく(彼は若い頃に雑誌をつくって、Adolf Loosの「装飾と罪悪」なんかを訳してフランスに紹介していた)。ドイツ系に比べ、コルビュジエにはむしろブレがなく、のびやかな自由と啓蒙の精神が発見的モデル化とそのプロモーションを押し進める。

そいでもって両者(のみならず構成主義グループなど幅広いモダニストたち)が合流したのがCIAM
来週あらためて整理しますね。