壱岐勝本浦(長崎県)、神代研デザインサーヴェイ(1969)から46年後。

 2015年度夏の研究室合宿旅行は福岡県・長崎県熊本県をまわったのだが、初日9月16日に福岡港から壱岐へわたり、勝本浦の集落を歩いた。ここ数年、伊根京都府)、女木島香川県)、十三青森県)、沖の島(高知)と、明治大学神代雄一郎研究室が1967年に着手したデザインサーヴェイの初期の対象集落をひとつずつ廻っているのだが、今回の壱岐勝本浦長崎県)で5つ目。(←各集落名のリンクからGoogleMapへどうぞ。いずれも魅力的な集落ばかり。)
 今回も、(もう46年前のことになるのだが)かつて神代先生と沢山の学生たちが集落調査に来ていたことを覚えておられる方がおられた。感慨深い。

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サーヴェイ(1969年実施)当時と比べると・・・まず、GoogleMapで見られる集落全体の屋根伏図では一見するとほとんど何の変化もないように見える。屋並みの密度とうねりがすばらしい。だが、やはり色々な変化がある。

  • サーヴェイ当時すでにみられた本浦(湾の東側)サイドの護岸整備がその後に全域に完成しているだけでなく、集落の山側も擁壁ができ、要するに集落の前面・背面の両方がコンクリートの帯でがっちり固められている。
  • 湾の景観は、かつては海側の屋敷地の裏がそのまま湾に接し、そこに船がついていたのだが、護岸ができて船が屋敷地から切り離される。
  • 護岸と同時に海岸通ができ、モータリゼーションへの対応はこれが引き受けているため、本来は集落の軸をなしていた通りはかえって穏やかな生活環境を守っている。
  • 聞取りによると、1970年代、ちょうど神代研のサーヴェイの直後くらいから家屋の建て替えが一斉に起こった。だが、地割りはよく保存され、屋根伏では大幅な変化がないから、主屋を総二階建てにして水回りを組み込むなどの更新にとどまるのではないかと想像される。
  • しかし通りに面した主屋からみて裏手の景観を特徴づけていた、イカを干す竹の棚が完全になくなっているのは大きな変化だ。今でもイカは獲るが、鮮魚で出荷するようになったため、イカを干す作業は集落からほぼ消えたのである。
  • さらに、海岸通ができたために、湾に面して表構えをもつ家屋が増えてきている。短冊状地割の長手を割って、海側の土地利用が進んできているのだろう。


その他には以下の建物を見学。

flikrの写真は下記画像リンクからアルバムへ。
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