10月1日開催の新国立競技場シンポの内容が10+1 website にて公開 + 磯崎新氏のコメント、ザハ・ハディドによる批判

2014.10.01に建築会館にて開かれたシンポジウム「新国立競技場の議論から東京を考える」の内容が公開されています。スピーカーは槇文彦(建築家・槇総合計画事務所代表)、内藤廣(建築家・内藤廣建築設計事務所代表、東京大学名誉教授)、浅子佳英(建築家・インテリアデザイナー)および青井。コメンテーター五十嵐太郎(建築批評家・東北大学教授)、モデレーター松田達(建築家・東京大学助教)。
http://10plus1.jp/monthly/2014/11/pickup-01.php

なお、同シンポジウムを終えた直後に当サイトにメモを書いたのであわせて参照ください。
建築夜学校第一夜:新国立競技場をめぐる議論を終えて(ノート)

ところで・・・その後、皆さんもご存知のとおり、磯崎さんの意見が発表されました(2014.11.05)。
磯崎新「新国立競技場 ザハ・ハディド案の取り扱いについて」
基本的にはコンペを含むプロジェクトの構造がいわば「建築家不在」になってしまっていることへの批判です。まさにそのとおりで、私もこの問題をかねてから指摘しているつもりです。磯崎さんはまた、競技/セレモニーを分離し、開会式の会場を皇居前広場とし、今日のメディア状況を踏まえた(ナショナルかつトランスナショナルな)イヴェントとして演出すべきと提案しています。面白い。『磯崎新interviews』を読んでこのあたりの磯崎さんの関心の脈絡を知るのも悪くないと思います。

またザハ・ハディドによる痛烈な「日本人建築家」批判が出されました(2014.12.08)。
"Zaha Hadid hits back at Tokyo stadium criticism is "embarrassing" for Japanese Architects" (Dezeen)
建築論として注目すべき内容が含まれるわけではないけど、こういう反応もまた当然のことでしょう。少なくともザハがどんな案を応募しようが自由。それを選んだのは施主(JSC)が構成した審査委員会であり、選ばれたザハには設計者としての権利と責任がある。ところが実際には彼女はデザイン監修者という奇妙な(しかしかなり一般化してもいる)役割にとどまり、かつ、批判運動はいつも「ザハ・ハディドの設計」をめぐって行われてしまっている。

それと、FIFAがワールドカップのスタジアム基準を2026年開催から緩和する意向を示しているのをご存知でしょうか(報道は2014.09.18付)。
FIFA looks at smaller World Cup stadium capacities (The New Age)
JSC−文科省が例のスペック=[8万人・常設・屋根付]に拘るのは、(五輪ではなく)FIFAワールドカップの決勝戦開催スタジアムの基準を満たすことに眼目があり、実際そうすれば東京はあらゆる国際スポーツイヴェントを招致できる世界都市の列に並ぶことになる。ところが今後東京招致の機会があるとしてもそのときにはこの基準は緩和されている可能性が高そうです。9月末時点で当方の研究室で作成した新国立競技場関連情報の整理のなかでもこのニュースを記載したのですが、気づかれた人は少ないと思いますのであらためて注意喚起をと思った次第。議論を複雑にするかもしれませんが、可能なら規模を見直し、可動式屋根をとりやめ、かわりにザハのコンペ応募案にみられたスタジアム外部の都市的ダイナミズムを回復してほしい。これと連動して東京都がペデストリアンの環境(歩道等)を拡張・整備すれば、かなりまともな場がつくれるのでは。