10+1 web site 201312「東京オリンピック」からの問い──2020年の都市計画は可能か

201312_tenplusone_website昨日より10+1 website で新国立競技場問題の特集が公開されている。槇文彦さんの批判以後、活発な議論が行われているが、どうも建築界の人が建築の話をしている、という感じがあるのに対して、この特集ではもう少し冷静に共有されるべき議論の枠組みを描き出そうとしている。

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201312「東京オリンピック」からの問い──2020年の都市計画は可能か

新国立競技場──ザハ・ハディド案をめぐる諸問題
 日埜直彦(建築家)×フェリックス・クラウス(建築家)×吉良森子(建築家)
都市景観と巨大建築
 五十嵐太郎(建築史、建築批評/東北大学教授)
建築コンペティション政治学──新国立競技場コンペをめぐる歴史的文脈の素描
 青井哲人(建築史・都市史、明治大学准教授)
オリンピックは時代遅れの東京都市計画を変える好機
 蓑原敬(都市プランナー)

フェリックス・クラウスさん・吉良森子さんとの鼎談で日埜さんは2つのことを問題にしている。ひとつはコンペの問題、もうひとつは都市の問題。前者は公共財のデザインを誰がどのような権限と責任において担うのか、後者は突き詰めれば都市の歴史と未来に関する公共的な議論の場がつくられない日本の政治風土の問題、ということかな。いずれも環境形成をめぐるガバナンスの問題であることはいうまでもない。たとえばフェリックスさんは日本では「「良い街をつくる」ということが政治的なアジェンダになっていない」と指摘するが、それはつまりありうるはずのポリティクスが働かない、という問題だ。建築界の言論が、都市計画や造園の専門家、多層的な市民、あるいは財界、政界、神社界などなどの立場からの主張と交錯するなかで、議論の軸や境界条件がつくられ、練り上げられていく    といったことが起こらない。マスコミはスキャンダルだけを指摘し、建築家は党派的な集団をつくってしまいがち。
日埜さんから、前者、つまりコンペの歴史的脈絡から新国立競技場問題を論じてほしいとリクエストがあり、上記の論考を寄せた。心がけたのは、まず今回のコンペをめぐる経緯をできるだけ正確に調べて整理すること。次に、そこから見えてくる問題を日本近代のコンペ史の脈絡に接続すること。で、作業してみると断片的な事実からでも色々なことが透けて見えてくる気がした。
一般には、新国立競技場の設計者がザハ・ハディドに決まったのだと漠然と受け止められているように見える。でも重要なのは、実質的な設計を担う組織設計4社によるJV組織体の存在もあわせて見ることだと思う。コンペをめぐる諸状況から判断するに、組織設計のJVが実質的な設計者となることがおそらく既定路線としてあり、その「デザイン監修者」を選出するためにコンペが行われたのである。それは、近年世界の大都市で共通に見出される「アーキスター+組織型デザインファーム」という設計体制をなぞるものだ。都市に国際競争力を与える「アイコン」をアーキスターが、そして「深層」の技術的ソリューションを組織設計JVが担う、という体制。今回の新国立競技場の場合、「フレームワーク設計者(→基本・実施設計者)」を決める公募型プロポーザルに参加したのは、「日建設計・梓設計・日本設計・アラップジャパン」の4社JVと、「久米設計・佐藤総合計画・東畑建築事務所・松田平田設計・パシフィックコンサルタンツ三菱地所設計」の6社JV、の2組だけ。これはできすぎ。プロポーザルによる選定の成立のため最低2組は出てもらわなければならないが、できるだけ日本の組織設計の総力を結集させたかたちをとりたいということがあったのだろうか。そうすると、今度の設計体制は、近年の新自由主義政策下での大規模開発の世界標準の一例であるということに加えて、ナショナリズム(表層は外部から借りても、深層は内部性を保証する)が滑り込まされているともみえる。
当選者を設計者としないコンペの前例は、明治から戦後にいたるまでたくさんある。たとえば大正期から戦後1960年頃までだと、国や県の営繕が設計をすることを前提に、「デザイン」(何と卑しめられた言葉か!)だけを与えるためのコンペが幾度となく実施された。そうした悪弊を排し、建築家の一貫した責任と顕現を明確にしようとする運動が闘われた歴史がある。日埜さんの言葉を借りれば、これは「建築家という立場が守られていないことへの不満ではなくて、むしろ建築家が責任を負わない構造に問題があるという意味」で捉えるかぎりで重要な闘争だったが、日本の建築生産体制の実態の前では、よいコンペの実例をつくることはできてもシステム的な勝利には至らない歴史でもあった。

ところで拙稿では字数(依頼よりも大幅に膨張してしまった)の都合上、また勉強不足のため、80〜90年頃の設計者選定の動向はネグってしまった。本当はそこも埋めて議論しないといけない。

さっき家の近所で飯食ってたら、酔っぱらった師匠(布野修司)から電話がかかってきて、流れでこの記事の話になったのだが、うーんアウトだな、ぬるいっていうか、的外れだナ、と厳しい評。そうすかあ?けっこう頑張っていいとこ突いたつもりなんですけど!と返してみても相手は酔っぱらい。でもこのへん布野さん一家言も二家言もあるから、また今度、会ったときに議論しようっと。