日本建築学会大会@北大+研究室合宿@青森県

2013.08.29出発。8.30〜9.1 日本建築学会大会に参加。実は大学院生時代に発表して以来、PDとか協議会とかで話をすることはあったが、いわゆる学術講演は20年振りくらいにやった。2011-2012年の台湾調査の成果(澎湖県吉貝4本、彰化県北斗4本、永靖餘三館2本)を発表したのだが、さすがに10本は赤ペン先生死んだ。来年からは4〜5本にしよう。8.30は8本の発表と、PD(地域文脈デザイン小委員会「成長時代のコンテクスチャリズムから縮小・災害時代の地域文脈論へ」)で報告とディスカッション。時間もバッティングしたので北大のキャンパスを走った。疲れた。今年はこういうバッティングが多いらしい。要するに縦割りのプロ編が意味をなさなくなりつつあるということ。夜は法政大学高村研究室の皆さんと札幌の焼き鳥屋で盛り上がる。高村研の学生さんたちの笑顔と高村先生の人なつこい友人の皆さん、ほんとにすばらしい。招待くださった高村先生、いつもありがとうございます!
大会は9/1に学生の発表も終わり、ジンギスカンを食ってフェリーで翌朝八戸着。
研究室合宿は色々まわったが、いくつか感じたことを書くと・・・
(1)まず弘前の前川建築はいま次々に改修のタイミングが来ていて、実際、市民会館と博物館のふたつは大改修工事中で見れず。だが人口18万の自治体がきちんと使い続ける覚悟、えらい。個人的には「弘前市庁舎」の第1期(1958)とそのうしろにある1970年代の増築部分をみて、前川の中世主義的志向(ラスキン-モリス的なもの)とはこういうことかと一目見て合点がいくところがあり、同時に神代雄一郎の前川評価の理由も分かった気がした。前川國男ル・コルビュジエの弟子と考えるだけでなく(いやそう考えるよりも)ラスキンからバウハウスの流れを考えないと分からないな。前々から言われていることだと思うけど。
(2)菊竹清訓の「黒石ほるぷ子ども館」(1975年竣工)はもう心底驚きつつ楽しんだ。実際に行かないとなかなかあの感じは伝わらないかもしれない。棟持柱列で勾配の緩い屋根がすっと持ち上げられているのは、蔵がモチーフというが、どこか東南アジア的な民家の祖型のようなものが軽やかに小振りに再現されたような感じで、けれど建物本体はピロティで屹立するどころか地べたにすっと伏していて優しい。スケール感が絶妙だし、小さい建物なのにさりげない事物がつくる多様な場所があり、子どもたちが生き生きと走ったり、のぼったり、本を読んだりしていた。彼らに「いらっしゃい!」と歓迎され、女性職員の方にも親しく色々なことを教えていただいた。菊竹さんの一面をみた思い。
(3)中世に十三湊として繁栄した「十三」の集落を歩いた。神代雄一郎による一連の初期デザインサーヴェイのなかで調査された集落のひとつ(1972年8月)で、その図面をもって歩いたのだが、あの板張りの閉鎖的なコミセがついた当時の建物はいくつか残る程度ではあったものの、その残り方と、痕跡と、その遺伝子を受け継いだとしか思えない建物も少なくなく、やはり類型学的な思考を動的な理論体系に鍛え直す意義をここでも確認できた。学生たちが聞き取っていたが、しじみ漁の話も驚き。
 他にも色々な建物と街を歩いて、発見や考えさせられた点多し。というわけで9.4新幹線で帰着。1週間のよき長旅。でも疲れた。

 学生たちのブログにもレポートが出ているのでリンクはる。
建築学会大会発表
津軽/十三集落再訪