台湾調査2013夏 記録[後半]

台湾調査の後半は、8月16〜21日、彰化県田中鎮の中心部(旧田中街)を10名で調査した。この街は1898-99年にかけて甚大な水害(2度)と火災(1度)に遭い、1900年以降に新街を建設した、という経緯があり、街の特徴は以下のとおり。(1) 廟を北に置き、南へ大街を伸ばして都市軸とする。(2) 大街に沿って間口4〜5m奥行き50m弱の狭長ロットを両側に約50ずつ割り付けて町屋を並べている。(3) 町屋列の背後に正方形に近い邸宅用のロットがやはりかなり整然と区画されて、当初は大型の三合院が12ほど並んでいたらしいことが推測できる     非常に美しいプランであり、合理的かつ理念的な体系の所在を感じずにはおれない。
 さて災害を契機とする市街移転が20世紀初頭に行われているという、このタイミングは非常に重要である。というのは、この時期ならまだ19世紀までの新街開発の伝統がほぼそのまま発動したと考えられ、かつ、植民地期に入っているため一定の行政史料があり具体的な様相がそれなりに復元できるからだ。今後展開すべき主題を色々蔵している街だということは今回の調査を通じて次第に明らかになったのだが、最初から確信していたのは、要するに台湾で「漢人が街をつくるということ」について歴史的かつ理念的に遡って考えるための貴重なケーススタディになる、ということだった。こういう街に出会うためには広く各地を訪ねることも必要である。
 今回の調査では、わたしはほとんど奥さんと二人で役所を廻って地籍図・土地台帳・土地登記簿などの入手可能性を協議したり、有力者層の子孫に族譜(系図)なぞ見せてもらいながら聞き取りをしたり、というような動き方をして、町屋そのものの調査は白さん、ジョージと学生たちに任せることになった。2010年からの台湾都市サーヴェイ・シリーズのテーマについては彼らの調査で今年も成果が上がっているが、わたしは今後また数年間かけて展開すべき研究計画を練りつつある。
 もちろんここ数年の成果(少なくとも4つほど大テーマがある)を吐き出す仕事もしないとダメ(今年は日本建築学会大会で10本発表したのでようやく少し出したわけだが)。

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