堀口捨己・神代雄一郎展関連。0421ギャラリートーク/0428記念シンポジウム、盛会のうちに無事終了しました。

 展覧会をご覧になっていただいた皆様、関連イベントに登壇ならびに参加くださった皆様、ありがとうございます。おかげさまで多くの皆様に重要なことを共有いただき、また我々も得るところ大きい経験をさせていただいています。

IMGP2457 4月21日(日)には松本勝邦先生・宇佐美親夫さんのお二人をお招きし、神代研のデザインサーヴェイ(女木島67・伊根68・壱岐勝本浦69・足摺沖の島70・津軽十三71の初期6回)に関するギャラリートークを行い、用意した席数を上回る50名弱の皆さんに来場いただきました。私どもが神代資料から整理した内容(前史、調査準備、実測調査と聞き取り調査の実際、調査のまとめから出版まで、他)を提示しながら、お二人から追想的に証言をいただく、という形で進めさせていただきましたが、とくに松本先生が(前日から高熱を出されていたにもかかわらず)大変熱心にサーヴェイのこと、当時の村々のことをお話し下さり、感激しつつ勉強させていただきました。雑誌からはうかがい知れない、辺境漁村の(伝統的な集落という括りには決して収まらない)社会的な矛盾、潜在的・顕在的ダイナミズムの一端と、彼の地の若者たちと神代研の学生たちとの邂逅潭は、大学闘争が一気に高まり急速に退潮してゆく当時の時代状況と重ね合わせながら、感慨深く心に刻ませて頂きました。

P1320670 つづいて4月28日(日)は豪華キャストでの記念シンポジウム。定員を大幅に上回る530名ほどの方々(30-40名立ち見)が来場されました。堀口捨巳については藤岡洋保先生が「表現者堀口捨己〜総合芸術の探求〜」という御著書と同名の演題で御講演。神代雄一郎については僭越ながら私が「神代雄一郎、その批評精神の軌跡」と題して報告。つづいて磯崎新さんが、テクノクラート養成機構たる東大周辺の構造から「パージ」されていく人々と、彼らの運動の場としての雑誌メディアを糸口としながら、歴史的な脈絡に裏読み的に補助線を引きつつ諸関係を復元する濃密なコメント。後半は、日埜直彦、天内大樹、ケン・タダシ・オオシマ、藤村龍至の4氏からこの順にコンパクトなプレゼンテーションをしていただいた上で討議。ディスカッションについては3月中旬に私から4氏に作業仮説的なフレームワークをお送りし、これを踏まえて討議するかたちをとりました。堀口捨己・神代雄一郎の二人が「建築家とは何か」という問いにおいて歴史的ランドマークであることは疑う余地はないのですが、それをできるだけ明瞭に現代につなげるためのフレームを用意したつもりです。(このメモは、少しリバイズしたものを当日会場でも配布しましたが、ここでも記録のためにアップしておきます。→こちら)時間切れで十分に展開できたとは言えませんが、いくつかの問題提起と議論のフレームは提示できたのではないかと思いますので、今後も場をあらためて深めていきたいと思います。
P1320590 藤岡先生に多くを学ばせていただき、磯崎さんには最後まで重い問いを投げかけられたことは言うまでもないのですが、個人的には設計と歴史を業とする30〜40代の皆さんと、過去と現在を結び合わせる希有な場を共有できたことが最大の収穫です。
 「建築家とは何か」は今日の問いですが、その問いの形式にも内容にも、避け難い歴史的な脈絡が絡み付いています。建築家が歴史観を問わず、歴史家が現在的問いを忘れがちな今日、このシンポジウムはひとつのキックオフとして重要な場になったと思っています。建築がより自由に様々な場所に接続して社会的意義を多面化できるようにすること、当方の「メモ」に即していえば職能像の安易な収束に抗して、分岐局面を加速化していくこと、そのためには歴史的脈絡を広く共有しつつ解体(相対化)すべきものはしていくことが必要な時期に来ていると思います。歴史的由来の分からないものには私たちは盲目的に縛られがちです。
 シンポの反響はツイッター@horiguchikojiroをご覧ください。

 展覧会は、ひきつづき5月19日まで駿河台キャンパスの明大博物館特別展示室にて開催しております。まだご覧になっていない方は是非御茶の水へお出かけください。(開催案内はこちら

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