映画「空を拓く:建築家・郭茂林という男」を渋谷で見てきた。

20130228.Thu. 酒井充子監督・映画「空を拓く:建築家・郭茂林という男」(公式サイトはこちら)を渋谷のユーロスペースで見てきた。台湾人にして、高度成長から企業経済+福祉国家体制の確立へと至る時期の日本で霞ヶ関ビル(1968竣工)等の時代を画すプロジェクトをコーディネートし、さらにその経験を台湾に移植した郭茂林という人物を描いた映画で、酒井監督が美しい自筆(ほんとに美しい)のお手紙とともに招待券を送ってくださったこともあり、時間を見つけて出かけたのである。2010年の7月末に酒井さんが研究室を訪ねてこられたときには撮影はあらかた終えておられたとお聞きしたように記憶している。たぶんその少し前に、90才の郭茂林氏は久しぶりに台北を訪ねておられ、その模様が映画のかなりの部分を占めるのだが、日本に帰国されてから体調を崩され、2011年の4月に他界された。この台北行の帰路、自宅のマンションのエントランスで車を降りて(おそらくカメラのこちら側にいた酒井さんに対して)笑顔で手を振ったのが郭氏の最期の映像になったのかもしれない。とても印象的なラストだった。
内容は台湾と日本を跨いで巨大な時代の変革期を駆け抜けた男の、齢90を迎えても抱き続ける純粋な夢とある種の哀愁がテーマだと受け止めた。その意味では色々伝わってくるものがあったが、ドキュメンタリーとして何か今まで見えにくかった背景や構造を浮き彫りにするといった迫力は正直なところ感じられなかったし、今日的な視座(それはある種の批判を含まざるをえないと思うが)も弱く、それだけに2010年という時代とひとりの老人との間に否応なく開いてしまった溝のようなものがじわじわと伝わってきて何ともやり切れない気持ちになったり、それでも率直に自分を出していく郭茂林氏の言葉や表情の数々に思わず微笑んだり、声をあげて笑ったりしてしまった。それは決して嫌みでも皮肉でもない。
酒井さんが訪ねてこられたとき、僕は規制緩和と高度化の連鎖がはらむ課題と、巨大建築に対する同時代的な批判もあった事実について、愚鈍にもお話させていただいた(エンドロールに僕の名前も出てます)。郭茂林氏のようなプロジェクト・コーディネーターが古典的な建築家を追い抜いていく時代がまさに60-70年代であり、その経験がまもなく各企業に吸収されていくのだと思うが・・・。