建築雑誌2013年2月号 特集 リスク・コミュニケーション:3.11以後の変質と波及 Risk Communication: Changes and Repercussions After 3.11

1302_cover_ok 日本建築学会発行『建築雑誌』2013年2月号は、東日本大震災がリスクをめぐる「コミュニケーション」にどのような変質をもたらしたか、を主題とした。つまり、科学者、技術者といった専門家から、政治家、中央・地方官僚、企業、住民・・・にいたるまでの人々の間で、リスク情報とそれをめぐる価値判断をどのように交換するか、という問題が、色々な意味で変質した。一方で、この変質は、東北の被災地だけでなく、あるいはむしろ他地域、とくに南海トラフ地震が想定される東海〜関西〜四国の太平洋沿岸地域に大きな波紋となって拡がった。
 たとえば、3.11以後、2012年に中央が発表した災害想定は「起こりうる最大規模」の値で示されることになった。表紙で分かるように、従前の想定を著しく上回っている。これはかなりの混乱を「コミュニケーション」にもたらした。それまでの被害想定を基準に防災対策を進めてきた自治体からみれば青天の霹靂だっが、その後多くの自治体は冷静に戦略を組み立てはじめている。
 人は命にかかわるようなリスクについては、きっと対策万全だから実際にはリスクは「ゼロ」だろうと思い込むか、逆に最大級が来たらなすすべもないと怯えるか、の二元論に陥りやすい。ゼロだと思えば何もしないし、極大に関心を奪われると呆然として何もできない。実際には、リスクはゼロではないし、最大値よりもはるかに小さい災害の方が頻度が高い。つまり上の二元論は、中間に拡がる連続的世界を見えなくしてしまう効果を持っている。中間に対する想像力をたくましくすることがリスクに備えることだが、どうしたって決定できないパラメータが多数含まれた多元連立方程式みたいなことになって、議論しづらい。この揺らぎをもった複雑さに堪えることは難しい。政治はそこにつけ込む。最大値を見せつけながらゼロを目指す、なんて宣伝が土木インフラの過剰投資をこれ以上肥大化させないことを願う。
 そんなふうに考えてみると、リスコミの課題は、陥りやすいゼロ/最大の二元論を不断に解体し、連続的リスク世界を回復することなのだろうと思う。これには技 Art が必要だ。具体的な個別の都市・村落環境のコンテクスト上で、複雑なリスク世界を適切なサブセットに分けつつ議論可能にする方法を提示すること。それが防災専門家の役割になるんだろうな(素人考えですけど)。アレグザンダーみたいになってきたぞ。