八重山の台湾人

PC260693八重山に行ってきた。

神戸芸工大で助手をしていた頃の院生で石垣出身のNさんに連絡をとったところこれ以上ない人物を紹介してくれた。八重山毎日新聞記者にして『八重山の台湾人』『台湾疎開―「琉球難民」の1年11カ月』の著者である松田良孝さん。これら2冊のタイトルで分かるとおり、八重山と台湾との関係史を、個々の人間の足跡を聞き取り、背景となる歴史的文脈と照らし合わせて位置づけてゆく地道な作業を積み上げることで、丁寧に発掘しておられる。
今回は松田さんに大変お世話になり、石垣在住の台湾漢人の家屋を調査することができた。
松田さん、本当にありがとうございました。

以下、八重山での調査日誌(抄)。

PC2300082012.12.22/石垣着。打合せ。
2012.12.23/松田さんの車で台湾人農家Aさん宅へ。実測+聞き取り調査。戦中期に彰化県員林から石垣に入植したお婆さんがご存命で石垣在住台湾人の間ではおそらく最長老だろうという。中央に神明庁があり、両側の寝室を揚床(総舗 chongpho)とする典型的な植民地後期の台湾漢人住居の形式が石垣に土着した姿だった(写真2)。衝撃的だった。
2012.12.24/レンタカーで石垣島内集落巡り。川平・白保・宮良。川平では屋根葺き替え中の民家を突撃で見せていただき、白保・宮良では民家の変容=住みこなしのプロセスに大いに関心を引かれた。

PC2504702012.12.25/竹富島へ。喜宝院のUさんに色々とお話を伺った。前の週に文化庁のTさんが来ていたんだって(Tさん、あまり会う機会ないけどまた飲もうね)。竹富は重伝建だが、忌憚なく言わせていただくと、生活文化を具体的・経験的に知る手がかりがこれほど少ない伝建は初めてであった。「保存」についてはいつも考えさせられる。民家の近代的変容過程はやはり興味深い。写真3の場合、周囲の柱筋のうち隅部がセメントブロックに置き換えられているが、これはきわめて典型的な変容の一類型。

2012.12.26/石垣市八重山博物館で勉強の後、宮良殿内へ。ここの管理をされている老主人の日本人批判は辛辣で、様式化されているもののきわめて含蓄深く、石垣の強烈な印象のひとつになったことは疑いない。権現堂、桃林寺を見学。午後、再び松田さんの車で台湾人農家Hさん宅の調査。Aさん宅以上に、八重山に土着化していく家屋変容プロセスの一端を知る(写真1)。興味深い。

PC2701612012.12.27/西表島へ。最も印象的だったのは祖納という集落。Mさんという老人に出会い、ご自宅を見せていただいただけでなく、短時間ではあったがバランスのとれた視野と判断力にあふれた八重山文化論を拝聴して楽しい時間を頂いた。文化論的言説の政治性を飄々と笑いながら茶化せるような知性の持ち主が尋常小学校しか出ていないというのを驚くのは失礼に当たるというものだろうが、とにかく八重山あるいは沖縄という歴史的・地政学的なコンテクストを意識せざるをえなかった彼の軌跡に、勝手に思いを致してしまう。またこの集落には古い茅葺民家が公開展示されており(写真4)、これも大変勉強になった。
2012.12.28/石垣市立図書館で調べもの。昼食は石垣市内中心部のMという台湾料理の食堂へ。店主の女性Rさんは羅東の出身だ。午後は石垣やいま村へ。士族系の家屋4棟が移築されており、加えて農家と漁家が再現されている(ちょっと怪しいけど)。ここにお勤めのHさんに民家関係の資料をいただき、空港へ。夜、羽田着。

さて僕は、本日(12/29)夜、台北に入りました。1/3, 1/5に台中方面で講演を依頼されています。