Lifting of Chicago

chicago_lifting_house1+このサイト、よくまとまっています → the Lifting of ChicagoRaising of Chicago@wikipedia (English)
たぶんよく知られた話なんだろうと思うが、19世紀半ばのシカゴでは建物のリフトアップが頻りに行われていた。1830年には人口50人の小さな交易の街にすぎなかったシカゴは、運河開設を契機に土地投企家が殺到、1860年には人口6万人に達した。もともと低湿地だったため街はたびたび浸水し、チフスコレラが流行した。このため1850-60年代には、建物を持ち上げ(最大で約1.8m)、道路の嵩上げに合わせていくという対策がとられた。それだけでなく、住宅を郊外に移動させることも頻繁に行われ、シカゴを歩けば移動する家に出会わない日はない、というような状態であったとか。
Chicago_lifting_house3+煉瓦造や鉄骨造の大規模な建物もジャッキアップされたが、大半は木造のいわゆるバルーンフレーム(枠組壁構造)だった。それが1871年のあのシカゴ大火で焼け、都市計画と建築制限の幕開け、そしてシカゴ派建築家たちの活躍へ、と相成るわけである。その前史として、日本の曳家業みたいな事業者がシカゴに多数あり、やはりそれが災害(この場合は水害と伝染病)に絡んで活躍したということになる。面白い。
左の絵は建物の下に井桁状に積まれた枕木が見える。日本と似てるなー。道路はこれから嵩上げ、てことでしょう。所有者の違う複数の建物が同じ高さまでジャッキアップされ、手摺付きの空中歩廊(歩道)が付いている。面白い。