建築雑誌2012年7月号・特集 動く建築:災害の間に

cover2012.04outline今号の特集は、「動く建築」と銘打っている。もちろん、ドーム屋根が開閉するとか、そういう可動性ではない。発災から復興にいたる災害プロセスの初期的なフェーズにおいて一気に、あるいはじわじわと出現し、そして近い将来にその処分が求められるような、様々なテンポラルな「建物らしきものたち」(社会的/法的な間(あわい)にあるものども "buildings" between social/legal phases post-disaster ←特集の英文サブタイトル)のことをこう呼んでいる。彼らは仮設性だけでなく移動・移設可能性をもつことも少なくない。それに今後のプロセスの進展のなかで、社会的・法的なステイタスを変えていったり、また物理的に「動く」ことが求められる可能性もある。しかし、彼らはたんに所与の復興スキームのもとで、緊急的・過渡的な役回りを与えられるだけの存在だろうか。そうではなかろう。彼らのあり方を考えることは、実は復興の大局的なポリシーやスキームの根本を考えることでなくてはならない。それは歴史を少し振り返ってみれば明らかである。
 詳しく書き始めると大変なことになってしまうが・・・、20世紀前半までの災害復興スキームでは、被災地を凍結してしまうことはなかった。現在のように全被災者に応急仮設住宅を提供するという考え方も、それだけの財政力も、産業的体制もなかった。だから(一部の収容施設や供給型仮設をのぞけば)法規の緩和により自力バラック建設を誘導して生活・生業をできるだけ連続的に再建させ、その間に検討した区画整理を曳家などの手段で実行し、自力更新時に適法化されるのを待つ、というスキームが(大ざっぱにいえば)関東大震災から戦災復興などで適用されている。これに対して20世紀後半型は、被災地を凍結し、そこから離れた空地等に建設した応急仮設住宅を全被災者に与え、それから基盤整備を行い、復興住宅の完成と仮設住宅の撤去をもって完了とする。20世紀前半までが「現地-自力-漸進」型だとすれば、20世紀後半は「迂回-供給-開発」型の確立が目指されたのだろう。阪神淡路大震災はこのスキームでやり遂げたが(それでも実際には自力仮設が何千棟と建った)、東日本では同じスキームが無批判に適用され、ほとんど機能していない。このままいくと、数年後には東北太平洋岸の都市や集落では、仮設住宅団地も、高台移転集落も、被災した市街地や村落も、どれもが低密度スラムになりかねない。
 資本主義+福祉国家的な体制からはバラックなど「もってのほか」かもしれないし、「現地-自力-漸進」というと、それこそスラム改善とも通じるので先進国のプライドが傷つくかもしれないが、いまや20世紀後半型スキームを再考するタイミングに来ており、そのためには歴史的に遡ったり国際的に参照したりすることを厭う必要はないと思う。
 仮設住宅については、プレ協の支配だとかプレファブ住宅のスペックの低さを叩くのにもそれなりの理はあるし、居住環境改善のためのサポートもむろん重要なのだが、本当に真面目に議論しなくてはならないのは復興スキームそのものだろう。それが合理的に定められれば、仮設住宅だって明確な位置づけを与えられる(現状では災害救助法で困窮被災者の収容施設とされるのに、厚労省通達レベルで被災者として手をあげれば全員に供給することになっており、また費用も半世紀前の規定を機械的にスライドして決めているだけなのに、3ヶ月で数万棟を用意しなければならなかったり、なおかつスペックが低いと叩かれたりする)。それにポリシーによっては仮設は不要であることに気づかれたり、条件によってスキップするといった判断もできるようになるだろう。自力バラックによる再建も、日本都市の歴史的宿命として本気で検討されていいんじゃないか。

安政大地震a*
安政地震災禍図巻/チェスター・ビーティ・ライブラリー蔵/1855年の江戸大地震を描いた絵巻の一部。様々な自力バラックや露店が立ち並ぶ/『秘蔵日本美術大観』5巻 講談社 1993 より)

現に、東京都の復興マニュアル(2003)では、復興とは「震災によって大きな変容を迫られた社会の中で、被災者が生活の変化にうまく対応するための営み」と定義されており、これを踏まえて「時限的市街地」の考え方により被災現地における自助-共助的・漸進的な復興のあり方が想定されている。おそらく自力再建を誘導しなければとても災害プロセスをマネージできないことが自覚されつつあるのだろう。20世紀後半型スキームの機能不全は、首都直下ではごく合理的に現実性があるということだろう。

 本特集は、むろんこうした問題系にじゅうぶん応えるものではない。全体にちぐはぐな面もある。私たちとしても特集を組み立て、取材をし、座談会やインタビューを進め、資料を整序していくなかで次第にこうした問題を理解してきた、というのが正直なところだ。それでも、これまでの雑誌等にはなかった情報や議論をまとめることはできたし、得られた知見やヒントはいろいろある。

 ひとつは東日本大震災の特徴的な試みである「公募型仮設」「みなし仮設」が、2〜3年あるいは数年後には処分の対象となるわけだが、それをどう「動かすか」が大規模な初めての実験となるのだということ。物理的な移動と、社会的・法的ステイタスの移行、住人の移動などがありうる。プレ協の場合は解体撤去までかなり一元的にマネジできるが、東日本では一口に「応急仮設住宅」といっても多様な形態、構法、多様な支援団体、多様なスペック、多様な所有関係があるなかで、仮設の「ゆくえ」が問われるのであって、実験の成果が新しいスキームにつながっていく可能性もある(巻頭座談会では「みなし仮設」の公的ストック化、言い換えれば仮設から復興住宅への転換といったアイディアも示されている)。
 個別の事例では、本号編集担当のひとり吉村靖孝さんが提案するEx-Containerも建設後に「動かす」ことを想定したものだし、本号では紹介できていないが福島の芳賀沼整さんたちの木造仮設も今後の情勢の変化をみすえて「動かす」ことを想定した実証実験をはじめている。しかし、仮設から本設への転換は、所有権の問題や、優先的入居の考え方など、超えなければならないハードルが色々あり、だから県担当者はあらかじめ難問を避けようとする。
 やはり大局的な復興ポリシー、復興スキームの問題なのである。それが明確であれば現場も判断を下せる。東日本大震災は、いわば実効性を失ったスキームの下で、断片的な実効的モデルを組み上げていくことが求められるような実験場なのだろう。
 もうひとつは、被災者にとって、何が「出来ること」なのかがほとんど可視的でないということ。自力にせよ、支援を受けるにせよ、被災した自分の眼前にどのような再建へのオプションがあるのかが見えない。建築分野からいえば、それは「建物らしきものたち」をつくる可能性がどこにどのように開かれているか、である。そこで、まずは法規が定める「建築物」などのカテゴリーが現実の工作物の拡がりにどのように線を入れているかを整理してみた。それが、編集委員の竹内泰さんが頑張って作成してくれた見取図「「動く」×「建築」を考えるためのカテゴリー・マッピング」である。
 これによると、まず民法で「不動産=土地とその付着物」とされ、不動産登記法では「建物=土地への付着物で利用可能なもの」となっているが、それとは別に、建築基準法では建築行政の対象として「建築物=土地に定着する工作物のうち、屋根及び柱若しくは壁を有するもの」と定義される。これが「(1)定着の弱さ」「(2)構造の簡易さ」「(3)仮設(時間的限定)」の3つの揺らぎによって法の適用を免れたり、そもそも建築物として扱われなかったりする。「建築物」概念は、こういった3つの軸に沿って周縁部がかなり曖昧に広がっているのだ。実際、災害直後に現れる「動く建築」たちは、こうした周縁部や外部にある。しかし、こんな見取図を被災者が知るはずもない。キャッツシアターの「仮設」と、災害時応急仮設住宅の「仮設」が、同じ第85条に入っていたりするのも奇妙だ。
 ここでも復興ポリシーの問題である。「現地-自力-漸進」を復興スキームに組み込まなければならないとしたら、こういった法制度の再検討も進められなければならないのではないか。

 以上、えらく長くなってしまったが、「前言」にはあまり書けなかった本号の読み方について私なりに書いてみた次第。
 貴重な記事・重要な記事がたくさん含まれていますので是非手にとってお読みください。