仮設住宅が変わる、復興が変わる。

 20120617 Sun 「日本建築学会東北支部・みちのくの風 2012 青森」の計画系招待講演(シンポジウム)のため、前夜の懇親会に後ろ髪引かれつつ新宿から夜行バスに乗車。朝7時に八戸着。ちょっと時間をつぶしたあと会場の八戸工大へ移動。芳賀沼整さん(はりゅうウッドスタジオ)、浦部智義さん(日大郡山)、鈴木孝男さん(宮城大)、坂口大洋さん(仙台工専)、大沼正寛さん(東北工大)と打合せをすませてシンポジウムへ。昼過ぎには無事終えて皆さんで昼食をいただき、大沼さんとゼミの学生さんたちに八戸駅まで送っていただいて新幹線に乗り、さきほど帰宅した。
 いやあ、夜行バスはツラかったけどはるばる八戸まで行ってよかった。芳賀沼さんが浦部さんらとともに福島の原発被災地周辺で取り組んでおられる仮設住宅の実践はすごいのである。
 いわゆる公募型の木造応急仮設住宅を精力的につくっておられることはもちろん知っていたのだが、芳賀沼さんたちの試みは、地域生産型・コミュニティ重視型の仮設住宅といった枠にはまったく収まらず、むしろこれからのプロセスへの展望を描きながら、木造仮設がすでに災害復興像の組み替えに向けた社会的・政策的実験の可能性を秘めていることを強く自覚し、包括的な運動として展開されようとしていることには驚いた。「木造応急仮設集落」をいかに復興住宅村へと転用していけるか、今後の社会的・法的ステイタスの変更にともなう解体移築にはどんな技術上・コスト上の課題があるか、といった構想と試行の数々は、文字どおり「仮設とは何か」「復興とは何か」という根本的な枠組みと意味を大きく書き換える可能性に満ちていた。今日芳賀沼さんが示しておられたターム「中期仮設住宅」は、すでに20世紀後半型の仮設住宅とは異質なものである。東日本大震災を通じて、多様な復興モデルと、それに応じた住宅のあり方(位置づけ・振る舞い)を指す言葉がいろいろと生まれるだろうことを予感させた。
 講演の順序としては私が先頭で、三陸漁村の20世紀、そして日本の災害復興ポリシーの20世紀を見通す大きなパースペクティブをざっと示し、20世紀後半型の復興ポリシーの批判的再構築につながる実践を断片的にでも出来るだけ数多く生み出すことが重要ではないかという話をした。そのなかで「仮設住宅」の問い直し、「現地復興」・「自力バラック建設」の可能性、そのための法的オプションの可視化、「公募型仮設」や「みなし仮設」の今後の整理・処分(未知の実験)、不動産所有の問い直し(これらすべてが復興住宅を含む復興まちづくり政策と深く関係する)といったことが、すなわち20世紀後半型復興ポリシーの再構築につながる実験場なのではないかという意味のことを言った。だから芳賀沼さんのお話をうかがって、いやまさにそれです!と膝を打ち、不明を恥じ、興奮し、敬服した。

 みなさん『木造仮設住宅群:3.11からはじまったある建築の記録』(ポット出版、2012)を買おう。そしてこの本には書かれていない(しかしよく読めば書かれることが予感されている)今後の展開に引き続き注目していこう。

 企画者の皆さん、登壇者の皆さん、この機会を与えていただき感謝します。今後とも是非よろしくお願いします。