復興の原理としての法、そして建築

20120322 Thu. 大学で会議の後、水道橋のダイワ・リースにて応急仮設についてインタビュー。“生き字引”お二人に一般にはほとんど知られていない事実と視点をたくさん教わった。建築雑誌7月号に掲載予定。ご期待ください。
20120323 Fri. 日本建築学会復旧復興支援部会シンポジウム「復興の原理としての法、そして建築」(18:00〜20:30)@建築会館。法学と建築の対話という企画で楽しみにしていた。ディスカッションは時間切れという感じだったが全体にきわめて濃密で、びっしり10ppもノートをとってしまった。

日本建築学会復旧復興支援部会部会シンポジウム
復興の原理としての法、そして建築
2012年3月23日(金)18:00〜
建築会館ホール

企画説明:布野修司(日本建築学会副会長/復旧復興支援部会長)
基調講演:山本理顕(建築家)
コメント:石川健治(東京大学教授・憲法学)
     松山巖(小説家・評論家)
     駒村圭吾(慶應義塾大学教授・憲法学)
     内藤廣(建築家)
討議
パネリスト:山本・石川・松山・駒村・内藤
モデレータ:木村草太(首都大学東京准教授)

以下、私なりのノート。

  • nomos(法)は nomein(区分・分配されたものを所有管理する、という意味の動詞)を語源とする。つまり分節構造の支配にかかわるのが法であり、ゆえに法学は実質的に建築(というより urban tissue 〜 tipologia 的な捉え方というべきではないか)と密接なつながりがあり、かつ、法は論理整合性の世界であり建築的隠喩の集積でもある。たとえば様々な権利の不可侵性のモデルは住居の不可侵性にあるといえる。歴史重層的な慣習法に対して、首尾一貫した構成を空中に築く近代法はいわばコルビュジエのピロティ・モデルと相似であるなど。(山本・石川)
  • 近代国家ではモノはヒトに所有され、ヒトはクニに支配される、という構造をとる。建築都市分野に引き寄せれば、モノとは土地・家宅である。歴史的には土地・家宅というモノ的分節への所有関係が先鋭化するのは都市。ゆえに近代法に抵抗するのは家産的に領域一円を支配しようとする貴族と、共同体として空間・場所を管理する農山漁村民。近代法は、都市民的論理の貴族や農山漁村民への一般化。その戯画的帰結が、超高層集合住宅や郊外住宅地であるといえ、反動として貴族的・農山漁村民的論理の都市への最適用(コミュニティや共有領域etc)が叫ばれるのも必然。(石川)
  • では誰が空間秩序決定への参与権をもつか。まず住居は不可侵。聖域としての住居と、国家の専権事項であるインフラ(の2項だけ)をセットとするのが近代国家の論理。ところが、不可侵の聖域は住居の「内部」にしか認められないので、住居の外皮、住居の集合の仕方などは近代法にとって曖昧な領域であり、ここに私権を制限する論理としての「公共の福祉」を設定するのが都市計画だが、そうではない新しい公共性・共同性の論理が求められている。この部分に責任を有する専門家を法的に構成しうるか。(石川)
  • 応急仮設=悪という前提はおかしい。緊急事態においては近代的論理の過剰な行使が求められる。(内藤) [ただしこの「行使」についての法的根拠はきわめて曖昧で、非近代的。国家の責任を法的に明確化せず、民間にまる投げするのは今後はリスク大。また応急仮設について「発注」や「居住」のフェーズだけを見てヒステリックな報道がまかり通ったりスペック向上が止まらないのも、ストック備蓄から解体・再利用までの全プロセスと、災害時の国家的責任といったことを踏まえた上での「応急仮設とは何か」の議論が欠如していることに原因あり。再利用率を上げることを優先し、低スペックでも確実に供給できる体制を再構築すること、2年の応急収容施設であるとの認識を明確化すること、そして仮設はできるだけ減らして現地復興の道を開くこと、などを真剣に検討すべきだろう。いずれにせよ応急仮設住宅の風景は生存権保護の戯画化かもしれない。・・・青井注]
  • 津波被災地での建築制限は法的なものでなく指導。すでに事例が現れているように、復興事業を待てずに自己所有地での住居建設が相次いだ場合、国家はこれを止められるか。福島の危険区域に自己責任で住むことはできるか。裁判ではおそらく居住者側が負けるだろう。根拠は公共の福祉に求められる。(憲法学者) [これが、上記の戯画的な応急仮設住宅を相対化し、現地復興の道を開く際のネックになる。・・・青井注]
  • 新しい公共性・共同性の論理をつくるアプローチとして、プライバシーの理解の再編が必要。プライバシーについては、私生活領域の平穏を確保する権利(空間モード)、そこから漏れていく個人の情報を制御する権利(情報モード)がこれまでの支配的解釈だが、この個人の情報を他者に信託する関係として捉え直すと、その広がりの圏域としての共同体の論理が構成できる。ここに責任を有する専門家像を描いていくことが必要。(駒村)

まだあるけどとりあえず以上。
そうそう、夜は一次会で内藤廣さん、石川健治先生、駒村圭吾先生らと話し、二次会で松山巖さん、山本理顕さんとお話した。面白かった。