堀田善衛『方丈記私記』

20120204 Sat. 建築雑誌5月号むすびの座談会@田町。面白かった。議論をしていて、特集タイトルを微妙に(しかし大きく)変えるきっかけをいただいたりしたくらいだから。
20120206 Mon. 10+1 website 牧紀男さんとの対談(昨年のこれの1年後の続編という位置づけ)。月末くらいに掲載される予定とのこと。
20120207 Tue. 和泉キャンパスで入試監督の後、下北沢で設計科目の担当者反省会。兼任講師の皆さんから色んな意見をいただく。授業にかぎらず、建築とか大学とか震災とかたくさん議論した。
20120209 Thu. 建築学会情報委員会@田町。いつも思うが田町遠い。けど長谷見先生がアーカイブの考え方とか話してくださるのでためになる。
20120212 Sun. 日曜日なのに教室会議・教授会・計画系会議そして修論の指導・・で一日終わり。でも心の半分は建築雑誌3月号。印刷所入稿キワキワの作業大詰めの皆さんを思い・・・。19時頃に作業終了の電話が入り、ホッと一息。ご苦労さまでした。中野さんホントに申し訳ありません!

大学業務がだんだん落ち着いていく一方でどうもハラハラして落ち着かない1週間だったが、堀田善衛『方丈記私記』(ちくま文庫1988)(初版は筑摩書房1971)を読んでいたおかげで電車のなかや寝る前の布団のなかでは興奮の混じった安らかな気分というのか、よい読書が与えてくれるあの感じになれた。鴨長明というといわゆる無常観イデオロギーの首謀者みたいに言われることが多いですが、その長明像を独特の筆致で(かなり際どい線ですが)書き換えてみせた本です。際どいというのは、ほとんど記者あるいは採集者のように乱世の京のそこここに出没していたとしか思えない長明の立脚点のとらえがたさ、美学化を拒む不気味な実証精神のありようを長明に寄り添うように救い出しつつも、長明はやはり遁世的であり日本精神史に亀裂を入れる批判者たりえないこと、さらには著者自身が戦争を経験したときの、その受け止め方すら長明を含む大きな精神史の内にあることを否定しがたいこと、そういったことを堀田は同時に書かねばならないからである。過酷な混乱の時代のなかで宮廷の歌人たちはそれと交渉の回路をもたない美学化・マニエラ化をいっそう推し進めて極度の高みに到達したが、それが唯一の芸術・文化のありようであったことを批判するのはある意味で容易い。しかし、大地が裂け、家々が焼け、死体がごろごろ転がるという長期の混乱にあった都市の現実を見据え、それを生きながら同時にそれをもたらしたものの批判者であることは、それは難しいに決まっている。
 堀田は、「大火、大風、遷都、地震などの天災人災のすべてが、人間の住むなる住居というものとの関連で語られていることは、じっと考えていると不思議な気がして来る」(文庫p.166)と言い、方丈記は実につねに「住居論」なのである、と書いている。この「不思議」に明瞭な答えが与えられているわけではないが、僕としてはやはり平安末・鎌倉・室町・戦国といった混乱の時代の都市・住居のイメージを背景においてこの本を読むし、何とか別のかたちの方丈記「私記」が書けぬものかと夢想してしまう。実際、以前に住総研『すまいろん』の「動くすまい」特集を組ませていただいたとき、関東大震災や戦災のことと、中世〜戦国のことを重ねてみていた。だから(ただの不勉強なのだが)『方丈記私記』の存在には正直なところ驚いたのである。けれど、都市の実相が見えれば見えるほど、それをもたらしたものの批判者であることは難しい。