精神=都市の生態学

R0030207 20111201 Thu. 13:00〜卒業設計中間講評会。普段からお世話になっている建築家の古見演良さんと光本直人さんをお呼びして、研究室の4年生6名のための贅沢きわまりないミッドターム・ジュリー。今年は学生たちもよく頑張っているが、お2人の眼力にはホントに参りました。ほとんど精神分析的な響きがあり震え上がる。
18:00からは研究室を志望する3年生の面接。設計もできる、体が動く、頭も動く ---- 次年度の新メンバーもなかなか優秀な人が集まってくれそうで楽しみです。3年生たちを帰した後、夜は生田駅の某居酒屋に合流して、古見さん・光本さんと研究室メンバーとで盛り上がる。

20111204_crisis+city.00220111203-04 Sun. 第20回 都市史研究会シンポジウム「危機と都市」。僕は4日の午前中に講演。「再帰する危機と集落〜三陸漁村の二〇世紀」と題して、ざっと100年間の三陸沿岸漁村の集落景観の変遷をたどり、その大きなパースペクティブを示したうえで、各論的に重要な事実関係や論点などをあげていく。実は12月2日と3日は、昼間は会議、会議、会議、大学院M1とDの中間発表、会議・・で、夜は講演準備のため二晩ほぼ寝れずという有様。こんなの久しぶり。4月以来の作業を10月くらいから段階的に更新しながらまとめて来ているが、今回もまた一段階深めたまとめになったと思う。何より、都市史研究の大家、吉田伸之先生が関心を持ってくださり、ディスカッションでも共感を表明してくださったことがありがたかった。飲み会でも話が膨らんだ。他にも魅力的な方々に出会えたし、危機あるいはリスクという問題が都市論・都市史の重要どころじゃない(不可欠の)論点になることが共有されたのは大収穫だった。伊藤毅先生がシンポジウムの主旨に書いているとおり、都市は本来的に危機を内包した存在なのである。じゃあどうやって危機を内包していくのか。そう、「都市は学ぶ」っていうことですね。でも防災上の教訓の伝承とか、必ずしもそういうことじゃないよ。ベイトソンのコミュニケーション理論(『精神の生態学 Steps to an Ecology of Mind』)を是非読んでください。自然や津波そのものは自然現象だが、「災害」はその自然現象に対して社会が示す「出力」なのだという観点に立てば、災害-都市論とベイトソンは近づいてくる。都市・集落レベルの場合、社会構造(所有や権力をめぐる諸構造の束)と技術(生産・再生産の実現手段の束)が危機的なリスクにおいてどう機能したか、どう持続しどう変形されたかを読み解くことが基礎になるだろうと思う。あと、会場にいらしていた蓑原敬さんにたいへん力強く背中を押していただいた。もっと前のめりでいかないとなー。
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写真=都市史研究会ウェブサイトより