建築が相対化される場

今年から京都工芸繊維大学の中川理先生を代表とする科研費の研究会に加えていただき、昨日は3度目の京都だった(20111112 Sat.)。メンバーのなかに小野芳朗先生がいる。『<清潔>の近代:「衛生唱歌」から「抗菌グッズ」へ』(講談社選書メチエ、1997)『水の環境史―「京の名水」はなぜ失われたか』(PHP新書、2001)などの著者で知られる。土木の衛生工学分野がご専門だが、土木史の研究で精力的に業績をあげておられることはCiNiiで検索すれば一発。先回の研究会ではライフワークである琵琶湖疎水研究の精緻かつ広闊な展開の一端を披瀝いただいた。この小野先生がめっぽう面白くて毎回勉強になるのである(!)。さて昨日の研究会では木方十根さんが植民地期朝鮮と戦後復興期熊本で活躍した梶山浅次郎を通して都市計画史に迫る研究報告をされ、技術というものの生きた姿に触れるようで大変興味深かった。ついで造園史の丸山宏先生が近代日本の造園に携わった人物列伝をお話しくださった。丸山先生といえば『近代日本公園史の研究』(思文閣出版、1995)で勉強させていただいたことがある(拙著『植民地神社と帝国日本』の頃)。飲み会も含め、昨日は小野先生・丸山先生のお2人にずいぶん僕の先入観を相対化していただいた。都市計画いうのはせいぜいなあ、とか、まあ造園ちゅうてもなあ、という感じで(何のことや分からんやろけど)。

行き帰りの新幹線で原稿2本ドラフト書いた。2〜3日ブラッシュアップしよう。座れない電車では『現代思想』2011年7月臨時増刊号(特集「震災以後を生きるための50冊」)を読む。拾い読みの範囲ではあるが、出色は美馬達哉(医療社会学・脳生理学)のインタビュー記事であった。冒頭、「私は東日本大震災を特別な出来事とみなすのに違和感があって、「二〇一一年三月一一日は、たんなる災害が日本でまた一つ生じただけのこと」という視点も重要と考えています。」と言っている。評論家が評論家然として「3.11以後の思想」といった言挙げをするのはぼくも好きでない。4月くらいから違和感があった。災害の知的消費だし、弊害もある。ところでこの特集号、書き手によって震災観が実に十人十色というか玉石混淆。(文脈上たいした意味もないのに)個人的な経緯をつらつら連ねたり、黙示録よろしく重々しい言葉を並べる無内容の文章はほんとご勘弁ください。先人の蓄積の批判的継承に真摯に取り組んだ方がずっとよい。