都市における意志と学習について・第4回都市発生学研究会

先週末9月30日(金)に第4回都市発生学研究会を開いた。震災直後から都市計画遺産研究会として「三陸海岸都市の都市計画/復興計画史アーカイブ」を立ち上げ、その後も釜石などで現場にも関わっておられる中島直人先生(慶応大)をお招きしてお話をいただき、また「三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933, 1960」をつくってきた当方の研究室からもその後の調査研究成果を報告して討議。ランドスケープの中津秀之先生(関東学院大)、写真家の山岸剛氏(建築雑誌連載オンサイト等)、第1回研究会で講演いただいた田中傑氏(東京理科大)をはじめ、東大、早大、法政大他の学生さんも多数ご参加いただいた。
三陸海岸の都市・集落の過去の津波災害と復興計画や再生プロセスなどを理解していくための情報と基本的なフレーム、今後の課題がかなり見えてきたと思う。飲み会でも強く実感したのだが、中島さんは都市計画、いやむしろあらゆる人の営みのなかに投げ込まれる計画への意図・意志といったものへの強い信念を持ち、過去の蓄積のなかにも先人のそれを読み解き、受け継ぎ、定着させ、育て、重ねる、そういった現在の人間の意志について考えておられる。高台移転にしてもそれ自体の正否などではなく、意志をもった決断とその定着・継承、そしてそれを刻み込んだデザインの問題だと。具体的には『建築雑誌』11月号特集(私もゲスト編集委員として参加)で展開されるのでご期待を。
当方は三陸海岸の小規模な漁港漁村に着目して、集落形成史の歴史的解明を進めている。明治、昭和の連鎖関係や、土地・建物の基本的な構成、生産と権利、そして自然地形と土木的介入といったことがキーワードになる。大雑把にいえば、これらすべてにわたって、昭和三陸の復興つまり山口弥一郎までは民俗学的な視点が鍵となるのに対し、戦後高度成長期以降は土木史的な視点が鍵を握ってくると思われる。防潮堤や港湾施設の整備が進められていくと、集落のレイアウトにも決定的なインパクトを持つからだ。養殖や加工業への転換も、「蓄積」への舵取りになる(同じ植物を扱っていても採集と農耕が決定的に違うように)。当方も今後各所で報告する機会があるので、少しずつ内容を深化させていきたいと思う。
最後にひとつ。飲み会で喧々諤々やっているときに中島さんから、「生成」とか「発生」とか言ってしまったら終わりじゃないかと問われたが、ちゃんとお答えしたとおり、むしろ都市を発生的プロセスとして議論することで、たとえば生物の構造とは決定的に異なる問題として「土地」があぶり出され、また「計画」があぶり出される。創発の議論でもそうだが、「土地」がネックになることは明らか(純然たる創発的プロセスには、エージェントとエージェントの相互作用の、その下にある基底や、その上にある意志がない)。計画は地べたの論理に届かないものは実効性を持たないから、現実のプロセスでは自らを修正し(学習と強化の過程)、歴史的に日本型の都市形成に参加せざるをえない、それをきちんと議論しようと思っている(ちなみにメタボリズムは日本型都市が生み出した思想だが、しかし鍵を握る「土地」を捨象してメガストラクチャーに置き換える、飲み会でも議論になったように大高正人は特異だが)。中島さんは、おそらくは同じ理解のうえで「計画の意志」からアプローチする。いまや計画史と形成史とのあいだに決定的な垣根はないってことをあらためて思った次第。