台湾調査後半戦は馬祖列島と台湾東部でした。

昨日(8/22)台湾より帰国し、今朝からは早稲田大学にて建築学会大会に参加しております。
今夏の台湾調査は、前半(澎湖群島・吉貝島の集落)は宿を定めて11名でひとつの集落をインテンシブに調査しましたが、後半は学生メンバーが入れ替わり、数名でキャラバン的に馬祖列島と台湾東部を巡る調査を行いました。調査の目的は、ここ数年コツコツと台湾および周辺地域を廻りながら進めている、台湾漢人の「寝ること」の変容の解明。途中で兄貴・陳正哲先生も参加して充実した議論もできました。
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写真は台湾東部・花蓮縣の鳳林でみた客家人の家屋。三つの板張りの揚床が見えていますが、そもそも漢人は土間に眠床(家具としての寝台)を置いて寝るはずなのに、台湾ではこの種の揚床状の設えが広く普及し、興味深い定着のプロセスを示しています。もちろん半世紀(50年)にわたる日本の植民地支配のインパクトが大きいのですが、話はそれほど簡単ではありません。家屋にアジャストされフィクスされた、家具と建築の中間に位置する独特なスリーピング・プラットフォームの起源・波及・変容・定着の過程を解明しようとするのが私たちの研究です。

花蓮縣南端の富里という集落でも同様のプラットフォームの実例をいくつか確認してきましたが、そこはアミ族ドミナントな地域。インタビューしたある家の住人はアミ族(AmiもしくはAmis)とブヌン族(Bunun)の夫婦でした。漢化された彼らが、さらに日本化されるというプロセスがあるわけです。彼ら夫婦は二人ともごく普通の農民ですが、「自分の言葉(アミ語・ブヌン語)、ホーロー(台湾語)、ハッカ(客家語)、国語(北京語)、日本語」の5つの言葉を話します。
花蓮や台東は植民地期以降の開拓が顕著な地方なので、台湾西部の各地あるいは日本の九州などからの農業移民が入ってきてモザイクを形成してきました。そのため村から村へ移動するたびに少しずつ技術や文化が異なります。そういう難しさと面白さを発見したのも今回の成果でした。